とずけんどっとこむ

「学習指導要領中央説明会2」・・・08/06/30(月)

 今日は、都庁前で、中央説明会の2日目。副都心線にのって出かけた。案外すいているし便利である。
image007-1.jpg 東新宿で、大江戸線に乗り換えた。壁面に中山ダイスケという現代美術の若手の作品があった。いろいろな駅にこうしたアート作品が設置されているらしい。
 そうこうしている内に、都庁前に着き、会場を探したがよくわからない。公園を抜けていくとあった。
image009.jpg 9時から12時。13時30分から、4時過ぎまで、奥村先生の熱弁が続いた。じっと聞く方もたいへんだが、話すほうもたいへんだ。解説書の説明会なので、余談や意見は、述べてはいけないらしい。正確に文言を伝えることが目的らしい。が、昨日とちがって、映像を用意し、わずかだが、事例をみせていた。ぼくのような人間は、シンボルを介在しないと音声記号だけでは、眠くなってしまうし、思考もできない。ので、ありがたかった。
 休憩時、窓の外をみると、都庁とコクーンタワーが、みえた。東京はでかい。
image008-1.jpg 都の指導主事全体には、また7月に説明会がある。資料は山田指導主事がまとめて発表する。という話を聞いたので、できたらくださいとお願いした。都図研の皆さんにも、資料としてお見せできればと思う。横山指導主事と「指導要領を領域別に、配列がえして、みるとわかりやすいね」と雑談する中で、もしできたら、つくってみるという。これもいただけたら、資料になるだろう。
 指導要領は、現場に、どう伝播していくだろう。

「学習指導要領中央説明会」・・・08/06/30(月)

 今日は、午前中、新宿の厚生年金会館で、全体会が、午後は、四谷の弘済会館で、教科部会の説明会があった。
 解説書の「白表紙」をもとに、奥村先生が、3時間に渡って熱弁を振るわれた。
 東京都からは、渋谷区の横山指導主事と都相談センターの山田指導主事が、参加された。東京が、小生をふくめ3人というのはちょっと少ないと思えた。
 33都道府県から、3000人ほど集まっているのではないか。解説書も出て、いよいよ指導者講習となり、全国に新指導要領の趣旨が伝播されていく。
 都図研の皆さんも、解説書を読みこなし、現場の指導に活用しましょう。図画工作が公教育に存在するための根拠を指導要領は示しているのだから。明日は、都庁前で、説明会の2日目がある。image003.png

「研究局題材集のまねっこ第1回の予定だったんだけど・・・」・・・08/06/29(日)

image002-1.jpg 研究局が、がんばっている「題材集」をまねて、3時におきて4時間かかって書いたんだけど、菅原さん送信しても、送信できないのであった。そうこうしているうちに、会議に出かける時間となり、夕方帰ってきてからも試みたが、どうもうまくできない。写真の映像が重過ぎるのだろう。「まいったまいった」ということで、あきらめた。
 また今度チャレンジしてみたいと思う。明日、あさってと、学習指導要領の中央説明会。いよいよ「解説書」が出る。

「関東甲信越静地区造形教育連合・都県代表者会議」・・・08/06/28(土)

image003.png 土曜日は、午後から、久しぶりに銀座にいった。泰明小学校で、関ブロの会議があった。銀座のあでやかな通りの中の学校は、皆さんご存知であろう。
 300を越える児童数だが、銀座在住の児童は、10名以下らしい。ほとんどの児童は、地区外からの通学なのだろう。
 都県代表者会議は、約60名の各県の代表者の皆さんが参加してくれた。昨年は、文京区青柳小学校で、東京大会、本年は、11月に群馬大会がおこなわれる、ちなみに、21年度は、全国大会を兼ねて、千葉でおこなわれる。
 関ブロは、輪番制が確立しており、大会予定がしっかりしている。関東地区の造形教育は、これまでこうした安定した組織が支えてきた。
 現在、後退が余儀なくされる図工・美術であるが、こうした組織なくしては、未来への発展も在り得ないであろう。
新年度の本部役員や群馬大会の協議、各県の紹介などがおこなわれ、4時に終了した。次回は、11月の大会当日におこなわれる。

「都図研城北大会・練馬区教育委員会訪問」・・・08/06/26(木)

 今日は、6時間目まで授業がいっぱいだったので、おまけに、給食時に電話の対応で、給食を食べる暇がなかった。授業を終え、後始末をして、着替え、練馬まででかけた。(16年前の城北大会(北区)のとき、同じように訪問したことを思い出した。あの時は、これで最後だと思ったのだが・・・・)
5時から、玉置先生、野上先生、山崎先生、小野先生、島田先生の6人で、城北大会のお願いに、指導室を訪問した。
image001-1.jpg これで、城北地区は二地区目が終了した。他の区も日にち、時間が決定しつつある状況である。
 こうした活動は、地道で、なかなか目に付かないが、大会をおこなうための根幹である。本部と実行委員会役員、各地区図工部の連携で、実施しておこなわれている。
 (くれぐれも、個人プレイで、交渉してはいけない。実施できなくなるような状況に追い込まれるような事態も生じかねない。かつてあったようだ。)
 明日は、城南ブロックの集まりがあるが、月曜日から、でづっぱりで、土曜日は、泰明小学校で「関東甲信越静地区の都県代表者会議」、日曜日も会議があり、参加できない。よろしくお願いします。

「都図研データ・ベース4」・・・08/06/25(水)

 思えば、外部との連携を都図研は、結構古くからおこなっている。
 美術館との連携のはじまりは、確か、91年の池袋セゾン美術館での「グッゲンハイム美術館展」だったと思う。「あそびじゅつ」という鑑賞プログラムで、「鑑賞ツール」を作成し大々的におこなった。
 以後セゾンとは、92年「ヘンリームーア展」96年「シーガル展」「セゾンアートプログラム」とセゾンの閉鎖まで続いた。その他、94年には伊勢丹美術館、都美術館と連携して鑑賞教育研究をおこなった。

 写真は、「伊勢丹美術館」の「アートトリップ」。内野先生リーダーのプロジェクト。写真は、中村隆介先生の「ピカソの目でかく」。

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image003.jpg これは、96年の西洋美術館、東京国立博物館との「どうして像はつくられたの?」。写真は、ぼくのとこの実践。前年の95年に、西洋美術館の「描かれた世界を旅する」で、西美とはじめて連携がはじまった。若き寺島洋子さんが、そこにいた。以後、今日の西洋美術館、近代美術館、現代美術館との連携に引き継がれている。セゾンにいた一條彰子さんも近代美術館で現在、大活躍している。
image005.jpg また、05年、06年には、東京学芸大学との連携「ZUKO展」をおこなっている。仕掛け人は、柴崎裕さんと時任勝さん。柴崎さんは、アグレッシブに動き回り、外部との連携を広げた人。修士論文でも、鑑賞をテーマにした深い論考をすすめている。時任さんは、05年から07年まで、理事長を勤め、激しく変化する時代を切り盛りした。03年には、二人は、詩人谷川俊太郎さんとコネクションをつけ、八王子の都図研大会で、トークショウを開催したことは、記憶に新しい。(つづく)

「都図研城北大会・板橋区教育委員会訪問」・・・08/06/24(火)

image003.png 今日は、1,2,3,4校時と授業をして、給食の補教、5校時目の補教、クラブ活動をし、途中で相方にお願いして、板橋区教育委員会にでかけた。
 玉置副会長、野上実行委員長、会場校成増小学校の西明先生とまず、板橋区教育委員会教育長、北川容子先生にお会いした。
 都図研の組織や都図研大会について、資料をもとに、説明し、城北大会実施に関する予算や事業について、ご理解とご協力をお願いした。北川先生には、たいへん丁寧に対応していただいた。もうすぐ議会があるので、案件としてはかるむねのことをお話いただいた。
 次に、詳しい事業計画や予算計画については、学務課の桑畑様のところで、書類をもとに、説明をした。
 城北大会は、来年の12月におこなわれるが、予算申請などに関しては、前年度の段階で決定するので、一学期中には、各教育委員会を訪問しなければならない。手始めとして、本日は、板橋区。あさっては、練馬区教育委員会に訪問する予定である。さらに、北区、足立区、豊島区へとあいさつ回りが続く。
 明日は、えーと、CCAAで会議が、夜入っているな。

「都図研西多摩大会・瑞穂町教育委員会訪問」・・・08/06/23(月)

 「都図研データベース4」は、また次に。というのも、今日は、西多摩大会の実行委員会に瑞穂第一小学校にうかがったからだ。西多摩大会もいよいよあと半年に迫ってきた。
前都教育庁指導主事で現五日市小学校副校長の岩崎治彦先生をお招きし、お話をいただいた。いつものように都図研大会の意義や重要性などについて、説得力ある語り口で熱弁いただいた。新宿から、こちら移られて、少しスリムになったようで、いっそうお元気であった。ストレスから開放された?のかもしれない。力強い味方が、西多摩地区に着任されたので、西多摩の先生方は、岩崎先生が、困るくらい、どんどんご相談にうかがったらいかがだろうか。頼りになる先生である。
 また、大会をおこなうことは、日頃の勤務とは、また別の活動となるので、やや腰が重くなる。が、図工の大切を日々の授業をとおして痛感している皆さんしか、図工教育を発展させていくひとは、他にはいない。
 岩崎先生のお話をいただいた後、瑞穂町教育委員会にでむいた。5時半の約束だったが、25分ほど早くついたので、玄関の入り口で少し待った。庁舎は、山の上にあり、遠方に奥多摩の山々が見渡せる。都会の小学校とはやはり異なる感じだ。
image002-1.jpg 写真は、ちょっとこわもての感じだが、遠田副会長、菅野実行委員長、有馬広報局長。玉置副会長は、周囲の森をみると、いつの間にか「クワガタ」をみにいっていて、写真に写っていない。玉置先生は、クワガタ採集マニアなのであった。
 ということで、時間になり、教育長の岩本隆先生にごあいさつすることができた。たいへん気さくな方で、大会にもいろいろと協力していただけるようであった。たいへんありがたい。瑞穂町の地域の皆さんにも話をしていただき、この地区の子どもたちがおこなっている伝統芸能なども、当日、披露していただけるようである。
どんな大会になるか楽しみである。
 明日は、城北大会に向けて、板橋区教育委員会にお願いにうかがう。

「都図研データ・ベース3」・・・08/06/22(日)

image001.jpg 次は、ぴょんと飛んで、2007年に出たばかりの『子ども主義宣言』です。2006年からぼくは会長になったわけですが、会長になる際におこがましくも、注文を出しまして、鈴石会長や時任理事長も承諾して、というか他に会長になる人がいなかったので、承諾せざるを得なかったのですが・・・。まあとにかく、2005年に西新井の喫茶店で、高橋香苗さんをはじめ、若いスタッフと話し合って計画を練りました。

 ねらいは、簡単に言うと「子ども」と「新しい先生」。つまり、新自由主義で市場経済至上主義に世の中がなった。効率や行政改革でたんに図工の内容ではなく、図工教育そのものが危うくなっているという現状をどうにかしたいという願いと、団塊の世代がいなくなってものすごい勢いで、新人が増えてきた。これまでの図工のノウハウとかスピリッツを伝えたいというのが動機にあった。教育は、人がするものですから、情報だけじゃだめなわけで、それで、「宣言」を3つ掲げて、後は、ベテランと新人でチームを組んで、実践研究しました。一緒にやることが大切だ。
こういうのは、あと10年とか20年しないと成果がわからんけれども、とにかくやっておこうということでやった。吉田さんも森内さんも山中さんもすでにご他界していて、すでに『子ども主義宣言』をみれないわけですが・・・ぼくらもあと10年とか20年したら、同じですからね。後のことは後の人にかかってますよ!
 それで、ほんと、いろんな先生に協力してもらいました。例えば、横内さんは、敏感に察してくれて、理論的に整合性を持たせてくれたりと・・・こんな風にやっとこできたもんです。それから、編集長の高橋香苗さんは、へろへろになるまで、がんばりましたね〜。

image003.jpg これは、都図研研究局の第1回目研究冊子ですね。内野先生のところの木版画の作品が表紙ですね。テーマは「子どもにARTが生まれるとき」。このテーマは現在まで続いている。96年に研究局は立ち上がった。鈴石会長、ぼくが理事長時代のこと。気づくと都図研には研究局がなかった。それまで、研究大会を中心に研究をおこなっていた。他は、一本刷りみたいな名人芸でやっていて、これまで、体系的にきちんとした研究はしていなかった。ということになりますね。だから、酒ばかり飲んでいるバンカラ集団というイメージで、なじられていた部分がある。いまでもそのイメージを持ってる人がいます。
 「酒飲みつつも、研究も!」に体質改善を10年かけてやってきたというところでしょう。
 研究局長は、1代目、内野務。2代目、中村隆介。3代目、柴崎裕。4代目、時任勝。5代目、南育子。6代目、玉置一仁。7代目は、現在の岡田京子。

image005.jpg これは、98年の「ずこう大好きこども美術展」の第1回目のカタログ。表紙は、柴崎裕さんの指導作品。鈴石先生の企画ではじまった有志の展覧会。有志だから自腹を切っておこなっている。
平成10年には、告示で図工の時間数が削減された。「図工は大事だー」と世間に向かっていうための企画だった。今はもうない六本木のストライプハウス美術館の賛同を得て、はじめた。ストライプが閉館になり、ギャラリーTOMを経て、現在では、青山の「こどもの城」でおこなうようになった。本年は、「こどもの城」とCCAAの二会場で開催される。

image007.jpg これは、確か、93年の「教科性検討委員会」の冊子。江戸川小学校時代の中村隆介さんの実践をもとに、子どもの様子をこまかかくレポートしたもの。すでに、子どもの活動の見取りという、現在の手法が先取りされている。
 中村隆介さんは「造形主義的」なものをものすごい手腕と才能で開花させた人だが、その背後には、子どもへの視線があることを示している。
(つづく)

「都図研データ・ベース2」・・・08/06/21(土)

 「複製はいくらでも可能ですので、どしどしお申し付けください。」と穴澤さんからメールが来た。ほらやっぱりいい人でしょ。

 ところで、『素朴の原理』です。1990年出版。文化書房博文社。これは、吉田宏先生が、東京藝術大学の講師をやっていた時できた本だ。(表紙の絵と題字と各扉のコピーは内野。題名とテキストは辻。実践作品は、各氏持ち寄り)
image001.jpg 今日の都図研の研究に通じる一冊ではないかと思う。
 確か、1988年頃に声がかかり、作品をもって都図研会長の山中月香先生の滝野川小学校に行った。
 行くと石井弘、森内冨久志、鈴石弘之、清野直尚義、清野義光、横沢茂夫、永野一生、内野務先生たちがぞろっといました。当時の都図研のもさですね。ぼくは、新卒6年で墨田から、北区に異動して2年目の時のことだから新参者。
 親分は、吉田先生。都図研のカリスマ、棟梁という感じかな。今でいうと、鈴石先生と内野先生をたして、酒で固めた感じ?(すごいイメージになってしまった)。
 それで、研究会立ち上げの吉田先生のねらいは、藝大のテキストの作成だったと思う。全体を俯瞰して、直感的に「項目」をあげたのは、なぜかするどかった!(当時は、描写主義や系統主義やデザイン系のものが、体制を占めており、子どもの存在に迫ろうというものがなかった。)が、ぼくは、吉田先生の直系の人脈外にいたので、というより、石井先生の実践には、たいへん感銘をうけていたのであるが、吉田先生には、ぼくは、藝大をカサにした権威主義的な側面に嫌悪を感じていた(小僧扱いにむかっとしていた。しかし、こうした個人的な感情ではなく、当時の図工教育の体制を考えるとその存在意義は大きい。)ので、吉田作成のテキストに、反発して、徹夜して、「題名」と「テキスト」を書き上げて提出した。
 吉田先生には、一笑に付された。が、鈴石先生をはじめ、現場の先生は、それを認知したように思えたのであった。しかし、同時に沈黙も訪れたのであった。
 その後、吉田先生と内野先生の王子の駅前の飲み屋での、口角泡を飛ばす激論というか、口げんかもあって、研究会は、中止となった。
二人のひげおやじのつばを飛ばしながら、口論する姿は、今にして思うと見ものであった。(けんかのきっかけは、内野さんの「視覚障害者」が「色」がみえる、吉田先生のそんなもん「見えるはずないだろ」といったものだったが、ほんとは、ぼくを吉田先生が、小馬鹿にしたことが原因だったらしい。と、永野先生が、後で教えてくれた。当人は、気づいていないから、恐ろしい・・・内野先生はそれを気遣って撃って出たのであった。)
 それ以後、1年間、何の音沙汰も無く、ある日、吉田先生から電話がかかってきた。「研究の成果をかたちにしましょう」。ということで、ぼくは早速、内野先生に連絡し、休日の午後、ふたりで、第一日野小学校の職員室のでっかいロボットみたいなワープロ機で、原稿を仕上げたのを覚えている。
 出版化への背後の経緯には、石井弘、鈴石弘之先生の吉田先生に「鈴」を付けに行く尽力があってなされたものである。だから、石井弘の名前は、著者欄には載っていない。刺し違えである。
 しかし、本を出すのはたいへんだ。個人会費を集め、某氏に寄付をいただきに挨拶にうかがったりもした。後は、「つけ」・・・・。
 つけは、まわってくるもので、90年代末、ぼくが理事長をやっていた頃、文化書房の天野さんがやってきて、売れ残りを引き取ってくれという。
 鈴石先生とぼくで、折半して、借金を返済することにした。ぼくは、互助会で借金し支払った。

「都図研データ・ベース1」・・・08/06/20(金)

image002-1.jpg 美育文化の穴澤さんが、60周年ということで、都図研のいままでの研究資料のデータ・ベースをつくって、寄贈していただいた。現在、資料センターが、CCAA内に設置準備中であるが、60年間の資料は散逸している状況にある。そこまで、実際手が回らない状況もあり、たいへん貴重な資料化である。ありがたい。(もしかして頼むとコピーしてもらえるかもしれない。すっごくいい人だから穴澤さんは!)

image003.jpg「都図研名簿」「大会紀要」「特別委員会冊子」「出版本」「関連研究会冊子」などの表紙がデータ化されている。  古いところでは、1978年の第17回都図研大会で、城南大会と合同でおこなわれている。会長吉田宏、理事長石井弘。こりゃ、すごい。
image005.jpg続いて、1980年、第19回城西大会。これは、かの「ワークショップ」の大会報告書。「ワークショップ」というのは、当時、世間に出始めのことばで、関西の「造形遊び」に対抗した東京のことばであった。会長吉田宏。理事長は、山中月香。(二人とも他界された。吉田先生英語、月香先生フランス語堪能で、都図研は、国際的だった。)

image007.jpgそして、その余勢をかつて、81年『素材に出あった子供たち』(通称「ワークショップ」(文化書房博文社)を刊行している。これを編集したのが、鈴石弘之。83年には鈴石先生は、理事長に就任している。ちなみに、イラストを描いたのは、中村登。最近、ぜんぜん姿をお見かけしませんがお元気でしょうか?

image009.jpg1981年の第20回城東大会は、ぼくが教員になった年。授業アシスタントで、中村安子さんの手伝いに借り出され、終始、絵の具のお盆を洗っていて、他の授業は、まったくみれなかった思い出がある。体育館の入り口で、柴崎昇さんが、『ワークショップ』の本を売っていた。午後の分科会に参加すると、助言者の都の指導主事に、大津先生という名物教師が、どなりながら、くってかかっていたのを覚えている。こわかった?時代。  でも、「どっこい子どもは生きている」というフレーズは、いまだにぼくの心の中に生き残っている。
image011.jpgその後、1993年に第32回城北大会がおこなわれ、ぼくは大会事務局長をやった。前年の会長は、森内冨久志(故人)。理事長は、蒲生志津雄。当年の会長は、鈴石弘之。理事長永野一生。鈴石会長デビューの初回の大会である。研究局長は、堀口あや子。  今、副会長の南育子さん。カリスマ内野務さん、中村隆介さん、柴崎裕さん。岩田芳子さんなどなど、皆さん若くたいへんバイタリティに溢れ、ものすっごい元気であった。ぼくは「造形バブルの時代」と呼んでいるが、題材開発、材料開発のスケール、質とも圧倒的なエネルギーを放散できた時代であった。ここんところは、他の研究会から反目、批判されたところでもあったと思う。  一方、引き続き、組織論としては、体質的に「飲み食いの時代」でもあったが、蒲生、永野理事長時代の組織論には、異和を感じていた。

image013.jpg・・・ということで、大会の余勢をかつて、94年の一年間研究継続し、出版したのが『くるくるアート』(パルコ出版、1995年。ちなみに「くるくる」というのは、餅和子さんが、黒板にいたずら書きをしていたのをヒントに命名した)。1992年に、金華小学校(現お茶の水小学校)で「表現科」のカリキュラム研究が発表されて、図工が吸収されるのではないかと危惧された。ぼくは、鈴石先生から依頼され「悪貨は良貨を駆逐する」と題するレポートを手書、印刷し、ばら撒いたのを記憶している。案の定、劣勢の状況は、平成10年(1998)の学習指導要領改訂で「時間数削減」となって現実化した。

image015.jpg『くるくるアート』」では、中沢新一さんをはじめ、さまざまな外部の方に図工・子どもの表現活動への賛同をいただき、また出版社にもご賛同をいただき、図工を活性化していこうというねらいがあった。その路線はいまでも続いているが、94年に「オウム事件」が起こり、当時の状況なかでは、『くるくるアート』は、敷衍(ふえん)しない状況が生じた。ものすごく残念であった。時代の変わり目だ。 実は、81年の『ワークショップ』と95年の『くるくるアート』のはざまに生まれたのが『素朴の原理〜子どもの表現のリアリティをめぐって〜』である。(続く)

「H20年度第1回東京都造形教育協議会」・・・08/06/19(木)

image002.jpg 中野区立第三中学校で、東京都造形教育協議会がおこなわれた。これは、東京都の学校種が集まり、造形教育の連携をはかる組織としてある。一応、全国造形教育連盟の本部の選出母体の機能や関東甲信越静地区造形教育連合の本部役員を都図研と都中美で2年ごとに回しながら受け持つというようなことをおこなっている会である。
 たいへん、重要な会なのだけれども、高等学校など、組織加盟をおこなっていない状態なので、いまだ十分な組織ではないと言える。
 今年度は、組織の人員確認と来週、泰明小学校で関ブロの打ち合わせや各校種の情報交換がおこなわれた。
 造形教育には、皆さん方が知らない世界がたくさんあり、その活動がおおもとになって、さまざまな活動がおこなわれている。

「はたらく消防写生会審査会」・・・08/06/18(水)

image002-2.jpg 本日は、朝より、東京消防庁で、はたらく消防写生会の審査会があった。東京都中から、あがってきた作品をさらに絞った。
 大手町は、官庁街なので、省エネルックのサラリーマンが多い。ほとんどノーネクタイの行列にまじって登庁した。
 毎年、参加者数が増えているようで、膨大な数の作品をみた。都庁からは、松永指導主事、都中美からは、田中校長先生、あとは、私学関係の先生方、都図研からは、鈴木先生、高橋先生、本間先生が審査にあたった。
 官庁は、どこでも室温は、28度に設定してある。が、28度というのは、暑いなあという感じ。汗ばむ感じだ。話を聞くと、扇風機をつけているとその熱でさらに暑くなるという。温暖化スパイラルですね。
 我が図工室は、クーラーが入っていない地下室のような場所。これからが、地獄の季節です。
 ところで、作品だが、長年みているが、ただ消防車を描写しているものではなく、子どもの思いがこもり、いろいろな発想や工夫がしてあるものが増えてきている。昔は、描写一辺倒であったが、少しは指導者も変化してきている?のかもしれない。
 赤い作品を何千点もみた一日であった。

「CCAA図工寺子屋第一期終了」・・・08/06/17(火)

image004.png CCAA主催の第一期図工寺子屋が、昨日終了した。約50名の受講者が昨日は出席した。最後の講師の瀧田先生のお話の後、終了証が各受講者に手渡された。授与代表に撰ばれた加藤真先生は、照れながら証書を受け取った。
 毎週、火曜日、9回の受講は、なかなかたいへんだったろうが、皆勤賞の方もたくさんおり、皆さんの熱心さにうたれるのであった。こうした制度外の研修の場に参加し、主体的に学び取られたことは、おそらく自主的が故、それぞれのなかにしっかりと定着していくと考えられる。
 最後のエンディングパーティでは、陶芸窯で焼いたピザなども振舞われ、にぎやかな終回となったのであった。
 第二期、第三期と計画されているようなので、さらに多くの方の参加を期待したい。

「SMALL TOWN TALK おおはた雄一」・・・08/06/16(月)

image001.jpg アマゾンは、親切?である。以前買ったCDのミュージシャンの新譜のお知らせがくる。「おおはた雄一」のが来た。そこで、日曜日に注文したら、月曜には着いていた。いやー、世の中まったく便利になったものだ。
 早速、聞いてみると、70年代頃のFORKのカヴァーであった。おおはたは、75年生まれらしいので、生まれる以前の曲ばかりだ。ちなみに、70年は、ぼくは、高校1年生。70年安保の年である。初めて買ったアルバムは、「高田渡」の「ごあいさつ」。
 「ごあいさつ」のなかの「コーヒーブルース」が、カヴァーされていた。

  三条へいかなくちゃ
  三条堺町にイノダっていうコーヒー屋へね
  あの娘(こ)に逢いに
  なに 好きなコーヒー少しばかり
  おはようかわい娘(こ)ちゃん
  ごきげんいかが
  一緒にどう 少しばかりってのを
  オレの好きなコーヒーを少しばか?り
  ・・・・・・


 イノダコーヒーというのは、実際にある。一度だけいったことがあるが、随分昔なので、味は、忘れてしまった。
http://www.inoda-coffee.co.jp/shop/honten.html
 高田渡もつい先だって亡くなってしまったが、おおはた雄一や息子の高田蓮は、ある種、「Hobo」の系譜を現代につなげているように思える。

(ウィキペディア参照。ホーボー(Hobo)は、アメリカで19世紀の終わりから20世紀初頭の世界的な不景気の時代、土地から土地へ働きながら渡り歩いた渡り鳥労働者のこと。ホームレスのサブカルチャーの一員。
鉄道に無賃乗車を決め込みながら、時には追い立てられ、アメリカの自由なフロンティア・スピリットを自らに体現し、文学や音楽の世界で多くの人が彼らに憧れと共感を示した。ボブ・ディラン、ウッディ・ガスリーなどフォークをベースにした音楽を作った人たちには、ホーボーを歌った曲、タイトルがある。日本でも川村かおりに「ホーボー・ブルース」という曲がある。
文学上では、ジャック・ロンドンの『ザ・ロード』、ジョン・スタインベックの『二十日鼠と人間』、ドス・パソスの『USA』、ジャック・ケルアックの『路上』などが有名。なかでもジャック・ケルアックの『路上』は、若者に多くの共感者を見出し、ビートニクス・ジェネレーションという精神的な運動を生み出した。短編小説の名手、オー・ヘンリーの作品のなかにもホーボーを描いたものがある。
映画では、「北国の帝王」(主演:リー・マーヴィン)が、列車の屋根に無賃乗車したホーボーとそれを取り締まる冷酷無慈悲な車掌との対決を描いて、その生活の実際?をよく見せている。
沖仲士の哲学者として有名なエリック・ホッファーも長くホーボーのような生活をしていて、彼の『エリック・ホッファー自伝』にはその生々しい実態が率直に語られている。
ホーボーの生活を体験したシカゴ学派の社会学者、N・アンダーソンに『ホーボー—ホームレスの社会学』(原著:1923年、ハーヴェスト社)がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC )

「とずけんのひと」・・・08/06/15(日)

 先日、研修会で授業をしてくれた石賀直之先生(鶴見大学)が反省会で、知り合いに「大丈夫ですか?都図研で授業なんかして!」と言われたそうだ。
 よくわからないが、「都図研」というのは、どうも特別のイメージを抱いている方が多いようだ。山賊のような感じがあって、危険なイメージがあるのだろうか?
 近くにいた奥村先生は「そんなことないのにね。専科ということで、特別のイメージがあるんじゃない。とても熱心な先生方の集まりですよね」
 外部の人が「とずけんのひと」と呼ぶのはまだしも、都図研の会員のなかにも、というか、東京都の図工の先生は、全員「都図研」なのだが、どういうわけか、そう呼ぶ方もいるらしいのである。
 「あなたも、わたし」も「とずけんのひと」というのが真実である。
 が、小生が思うに、その呼び方を使う人は次の二つの傾向があるように感じる。
 ひとつは、今はすでにいなくなった団塊の世代より上に対して向けられたことばとして。
 確かに彼らは、「大酒のみ」「宴会好き」「芸術家気取り」といった無頼の感性をもっていて、たいへん元気であった。しかし、すでにその世代は絶滅した。
 もうひとつは、図工のいろいろな流派からの呼称として。
図工研究というのは、たくさんの研究団体があり、それぞれが研究をおこなっている。戦後の図工研究は、民間研究団体からはじまる。「創造美育」「新しい絵の会」「造形教育センター」である。美育文化の穴澤氏は、これを三極構造と呼んでいるが、そうしたセクト的な視点からの呼称として呼ばれている部分もあると思われる。また、学閥的なものや個々の小さな研究サークルなどもあって、そうした方面から、そうした呼称が生まれてきたように感じる。
 けれども、都図研は、そうした個的なセクトに所属する人も、東京都の図工教師なら、自然に会員となってしまう研究団体である。他のいろいろな流派に比べれば、はるかに「公(おおやけ)」の性格の強い団体なのであった。
 しかしながら、現在、図工は、時間数が削減されたまま、絶えずその存続を問われている。また、人員が大幅に入れ替わって、その指導の質が問われている、という大きな構造的な変化の時代を迎えている。懐古趣味やセクト主義で語る時代は終わったと言えよう。
 すでに、若い「とずけんのひと」たちが、これからの図工を開いていく時代なのだ。

「久々の土曜休日は、寝ると食うで過ぎていった」・・・08/06/14(土)

image002.jpg 何も仕事の入っていない休日の朝は、同じ時間に起きても、何故だか、爽快に起きれる。
 今日は、いつものように5時に起きて、原稿やメールに対応した。そのうちにTVで、地震速報が入り、1分後ぐらいに建物が揺れだした。東北地方の地震が、東京まで伝わってきたのであった。向こうは震度6らしいので、相当である。被害が少ないことを願う。
 その後、夕方まで、うつらうつらと眠りコケ、5時になってしまった。
 本間理事長紹介の「蕎麦屋」に夕方から出向いた。(ホント本間理事長は、何でもよく知っている)
 閑静な住宅地の奥まったところにある店で以前も紹介した。今日は広い縁側に座って「お奨めコース」を食べた。
image003.jpgまずはじめに、キュウリの塩とゴマで合えたもの。丸いお膳がなかなかいい。子どもの頃に使ってたなあ。
image005 06-50-49.jpg次に、豆やおふや切り干し大根のお惣菜。器がいい。  ああ、酒が飲めたらもっとおいしいかも。  人生の楽しみの半分がない?

image007.jpg次に、軍鶏のレバー刺。好き嫌いがあると思うが、ゆずこしょうで食べるとなかなかいい。
image009.jpgカツオの藁焼き、ひらめ、いわしのお刺身。ウサギの焼き物もグッド。藁で焼くと臭みも取れる?  いわしがうまいなあ。
image011.jpgうこぎの胡麻あえ。苦味がうまい。年をとるとにがいものや渋いものがおいしくなるのは、何故?
image013.jpgサラダ。ゆがんで重厚な食器がいい。食い物は目で食う側面もある。でもゆがんだ焼きものって、しまうのがたいへんですよね。重ならないから。
image015.jpg甘くない卵焼きもうまいざんす。
image017.jpgイカの煮物。ワタの入ったものと足を入れて甘くにたもの。ワタは、まったりと重厚である。
image019.jpg地鶏の焼き物。塩とゆずこしょうで。

image022.jpgああだんだん日が暮れてきた。庭がライトアップされる。でも雑然とした庭がいい。  メインのおそば。腰の強い、細めん。つゆは、甘くない。30秒立つと硬くなり始めると、注意書きあり。

image024.jpg最後に、庭で取れた夏みかんのアイスクリーム。
image025.jpg
 気がつくと、7時30分を回っている。風流な蕎麦屋をそそくさと後にした。サッカーを見なくちゃね。たまには。
 でも、サッカーをみていたら、いつの間にかまた寝てしまったのであった。

「都図研研修1」・・・08/06/13(金)

 品川清水台小学校(石渡先生)で、都図研研修局研修会が開催された。
 少々蒸し暑いたいへんよい天気となったこの日、130人を越える皆さんが参加された。
顔ぶれをみると、見たことのない女性の若い先生方がたくさんおり、人員構成がものすごい勢いで変化してきているのが実感された。
image003.png 二つの造形遊びの授業、楚良浄先生と石賀直之先生(鶴見大学)をみたあと、体育館で、文科省、奥村高明先生の講演を聞くものであった。
 楚良先生は、様々な材料をもとに、机上に、顔を見立てていくもの。デジカメで撮影し、最後に鑑賞する。ここでは、顔が目的ではなく。さまざまな材料に触れ合い、その特徴を生かしながら、現れてくるイメージを自分の思いと重ね合わせつくっていく過程が重視されていた。
 石賀先生のものは、様々な色のスズランテープが、1メートルほどに切断されたものをつかって、環境に働きかける造形遊びであった。屋上の風通しのよい通路、体育館の脇、体育館のコーナー、校門付近など様々な場所を選んで、その場を様々な操作(つなぐ、結ぶ、縛る、たらす、なびかす、裂くなど)を工夫しながら変容させていくものであった。
 「顔を見立て」たり「スズランテープ」を使ったりする授業は昔からあるが、それらは、「やり方」としてみると、新味にかけてしまう。むしろ、その中に子どもの動きや表情をみていかないと、本質にはたどり着かない。その意味で、子どもの活動をどう読み取るかが、今、問われているように思う。子どもの造形活動の背後には、そこに生きる子ども自身がある。
image005.jpg 授業の後、体育館で、講演会があった。が、奥村先生の要望で、座談会形式の講演となった。八田先生、佐野先生、加藤貴子先生、平田先生らが、質疑者になり、その質問に答えていくものであった。そして、その場で急遽、小生が司会となった。
 司会が、司会なだけに、進行は、不確かなものとなったが、普通、この蒸し暑いなかでの単独の講演会形式だと、睡眠状態の人が、続出するのであるが、今回は、ねむってしまう人がほとんどなかった。
 造形遊び、保護者へのアピール、教える、やり方、共通事項、評価などなどの質問をキーワードに、新学習指導要領との関連を聞くことができた。会場からの率直な質問も出て、実のある全体会となったのではないだろうか。
 会場の参加者も、経験の豊富な教師、新人の教師と二極化の傾向が如実に現れていたようである。話すほうも話題の置き方がなかなか難しくなってきていると実感した。
 とにかく、先生方も現場の子どもの視点から、学習指導要領を読み、使い倒すことが、たんなる方法論や「何々式」に陥らない、子どもの表現活動を保証することにつながる。大いに利用すべきであろう。本間理事長の最後の挨拶も、学習指導要領を大いに活用すべしというメッセージが込められていた。
image007.jpg 会終了後、反省会がおこなわれた。が、意外と参加者が少なかった。実は、こういう会が、もうひとつの全体会で、いろいろなその場では言えなかった話が聞ける。多くの方の協力によって、実現した会なので、「実のところ・・・」という話を聞いて、さらに見識を深めてはいかがであろう。むしろ、飛び入り参加でも大歓迎である。遠慮しないで、どんどん参加したほうが、身になると思う。
 とにかく、多くの参加者があり、無事終了した。鈴木副会長、上野研修局長をはじめ研修局の皆さん、ありがとうございました。
 次回の都図研事業としては、7月10日に、研究局の「公開授業」がある。研究局主催で、板橋区高島第五小学校でおこなわれる。
 今年度、新生した研究局のテーマは「子どもにアートがうまれるとき『子どもの夢中へとつづく道』」で、公開研究授業 大畑祐之先生が「ミクロアドベンチャー」(3年生)という題材の授業をおこなう。
講師は、鈴木太朗先生(東京大学大学院情報学環 学際情報学府・コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム人材育成特任助教授 メディアアーティスト)である。
 研究局は、題材開発と人材育成をねらいとする。新しい局面を切り開いていくことも都図研研究の大切な使命である。こちらも多くの方に参加していただきたいと思う。

「関ブロ群馬大会と都展運営委員会」・・・08/06/12(木)

image002.jpg 今日は、第48回関東甲信越静地区造形教育研究大会群馬大会の文部科学省の後援名義申請に11時から文部科学省に出向いた。本間理事長と群馬から、尾内先生、新井先生、大久保先生、足立先生が参加した。あいにく奥村先生は会議が入っていてお会いできなかったが、担当の方に段取りをつけていただいたので、スムースにことが運んだ。食事をして、午後からは本間先生は落合六小で、会議、小生は、東京都教職員研修センターで、第58回東京都公立学校美術展覧会の運営委員会に参加した。
 今日は、会長、理事長とも会議のダブルヘッダーである。(「トズケンのひと」などと、ひややかに見るむきもあるが、こうした地味な活動にいそしんでいる姿も、できればみていただきたいものである。なんか、愚痴っぽかったかな?)
image004.jpg ところで、公立学校美術展覧会は、東京都教育委員会の主催する唯一の展覧会で、すべての他校種と複数の教科からなる日本でも一番大きな児童生徒の展覧会である。日頃の学校現場の成果を社会に向かって公開できる大切な場でもある。昨年の日曜日の参観者は、一万人を突破している。日展に次ぐ来館者の数らしい。
 協力して、よい展覧会をおこなうことが、図工の認知につながるであろう。現場の先生方にもぜひがんばっていただきたいと思う。
 分厚い計画書を作成した担当の松永指導主事も張り切って準備なさっていた。(都図研も今後いろいろな面で御世話になると思うのでよろしくお願いします。)
image006.png さて、都展といえば、都図研では、伊藤貴光先生がそのオーソリティである。ミスター都展である。会場図の作成や細々とした手続き、当日の肉体労働は、伊藤先生を中心に回っていると言っても過言ではない。
 今年もこの役を買って出てくれた。なかなかたいへんな仕事であるが、こういう人がいないと事業が成り立たない。(本人曰く、写真写りが悪いそうだが・・・実物はもっとかわいいですよ)ありがたいことである。

 明日は、品川の清水台小学校で、都図研研修会がある。講師は、文部科学省の奥村高明先生。都図研研修局もはりきって準備してくれている。

「日独青少年指導者セミナー事業検討会」・・・08/06/11(水)


image002.jpg 今日は、「独立行政法人日本芸術文化振興会」で、日独青少年指導者セミナー事業検討会に参加した。
 日本とドイツで芸術分野の指導者を交換留学し、研修をおこなうといものである。場所は、半蔵門の国立芸術劇場の横。文科省の村上先生、全造連の永関先生ら数人の外部からの参加者と日本芸術文化振興会の役員の皆さんと日本での研修スケジュールについて協議した。昨年は、演劇で、本年は、美術ということで、ぼくも参加することになった。
 ところで、HP
http://www.ntj.jac.go.jp/index.html)の独立行政法人日本芸術文化振興会法(平成十四年十二月十三日法律第百六十三号)をみると、

第三条
独立行政法人日本芸術文化振興会(以下「振興会」という。)は、芸術家及び芸術に関する団体が行う芸術の創造又は普及を図るための活動その他の文化の振興又は普及を図るための活動に対する援助を行い、あわせて、我が国古来の伝統的な芸能(第十四条第一項において「伝統芸能」という。)の公開、伝承者の養成、調査研究等を行い、その保存及び振興を図るとともに、我が国における現代の舞台芸術(同項において「現代舞台芸術」という。)の公演、実演家等の研修、調査研究等を行い、その振興及び普及を図り、もって芸術その他の文化の向上に寄与することを目的とする。

また、

第十四条
振興会は、第三条の目的を達成するため、次の業務を行う。
一 次に掲げる活動に対し資金の支給その他必要な援助を行うこと。イ 芸術家及び芸術に関する団体が行う芸術の創造又は普及を図るための公演、展示等の活動ロ 文化施設において行う公演、展示等の活動又は文化財を保存し、若しくは活用する活動で地域の文化の振興を目的とするものハ イ及びロに掲げるもののほか、文化に関する団体が行う公演及び展示、文化財である工芸技術の伝承者の養成、文化財の保存のための伝統的な技術又は技能の伝承者の養成その他の文化の振興又は普及を図るための活動
二 劇場施設(伝統芸能の公開又は現代舞台芸術の公演のための施設をいう。)を設置し、伝統芸能の公開及び現代舞台芸術の公演を行うこと。
三 その設置する施設において、伝統芸能の伝承者を養成し、及び現代舞台芸術の実演家その他の関係者の研修を行うこと。
四 伝統芸能及び現代舞台芸術に関して調査研究を行い、並びに資料を収集し、及び利用に供すること。
五 第二号の劇場施設を伝統芸能の保存若しくは振興又は現代舞台芸術の振興若しくは普及を目的とする事業の利用に供すること。
六 前各号の業務に附帯する業務

とあることから、芸術活動への?振興とそのための助成をおこなうところであるらしい。
 主に、舞台芸術や伝統芸能を中心としたものであるが、美術などもその中に含まれる。希望としては、造形美術の教育分野にもさらに支援をいただきたい切に思う。

「CCAA図工寺子屋柴崎先生のぶっ飛び論」・・・08/06/8(火)


 CCAAの図工寺子屋で柴崎裕先生の講義があった。テーマは「ぶっ飛び」。
柴崎先生は14条で学芸大学大学院に通い、先年、修士論文「『私が子どもたちと美術館に行くこと』について—学校現場における連携授業について—」を仕上げて、修了したばかりである。都図研では、副会長、三代目研究局長を歴任してきた人だ。今日は久しぶりに、衆目のなかでの講演であった。
image001.jpg 柴崎先生の大きなねらいは、実践を通して、子どもたちから感じ取った、実感をもとに、教育や制度に対する異和感を相対化していく作業であるとぼくは感じている。日ごろ、反省することなしに、使用されている概念・・・例えば「美術」「教育」「遊び」「体験」などを歴史的な文脈やこれまでの理論を検証しながら、とらえ直す作業を執拗なまでの執着心と努力によって、突き詰めていこうとする姿勢がそこにある。
 一種の反教育的な姿勢が、そこにはにじみ出るのであるが、それは、近代によって成立した教育制度への反駁である。彼はそれを「教育マッチョ」と呼ぶ。
 近代の教育システムは、大量生産の工場モデルによって成立したが、そこから抜け落ちてしまうものこそ、大切なものがあるのだ、というメッセージが柴崎先生の言説には込められているように思う。
 また、たいへん好奇心の強い人で、使用することばのエリアがたいへん広く、誌的なことば、論理的なことば、感覚的なことば、さまざまなジャンルのことばを具体的かつ抽象的な視点から、ミックスして使用するのである。「ぶっ飛び」ということばは、たいへん感覚的だが、反面、分析の態度は極めて論理的で、言わば両極端な性質のものを巧みに使い分けているのである。
 自分のこだわりを徹底して追及しようとする姿は、若い人たちにとっても参考になるであろう。(ぼくにも)
 柴崎先生のことばの背後には、たんなる情報ではない、不可解な人間存在といったものを感じることができる。
 そこには、「世界を感じる私」を手放さずに生きようとする姿勢が貫かれている。それは、いま教師に最も求められていることではないだろうか。

「曇天(どんてん)の都心部」・・・08/06/9(月)

image003.png 今日は、振替休日だったが、都庁で「ものづくり人材育成プログラム検討委員会作業部会」の会議があった。少し早くついたので、第二庁舎の周りをぐるっとまわってみた。都庁のまわりにはたくさんの彫刻作品が設置してあるなあ。曇天の空を見上げると、都庁の反対側のビルに都庁が反射していた。

 ものづくりを小学校から、高校まで、系列化しながら、配列することはなかなかむずかしい。校種のちがいや教科のちがいもかなりあるからだ。都の理科研究会の林校長先生も理科の立場から参加していた。ちなみに中学や高校の美術や工芸は参加していない。都の図画工作教育を牽引する都図研としても、こういう席には、参加しなくてはならない、と思いながら参加している。
基本には、体を使って、感性を通して思考するという経験が、現在の教育のなかで十分でないという認識は、その場に共通にあるようだ。それは、図工の本質とするところでもある。そのあたりをなんとかアピールするようにしている。
 帰り道、すごい夕立だった。

「世界が劇場に見えるときがある。と映画『地下鉄(メトロ)にのって』とがんばるHP」・・・08/06/8(日)

 このところ「とずけんどっとこむ」担当の菅原先生は、大忙しでがんばっている。いろいろな原稿が入稿され、アップするのにたいへんである。そのなかでも、たいへん手を煩わせている小生の「ひつじ日和」もいつの間にか、日刊になってしまった。ほぼ「日刊」というのは、むずかしい。週間もむずかしい。週2回もむずかしい。リズムというか、集中力の持続の取り方があるのだろう。「ゆったりタイプ」「適時タイプ」・・・自分は、「短期決戦タイプ」だろう。気が短いからね。

image007.jpg ところで、街を歩いているとそこが「劇場」のように感じることはないだろうか?ぼくは時々そんな風に感じることがある。光のせいかもしれないし、窓枠のせいかもしれない・・・。そこでは、人が自分とは無関係に、そこでせわしなく動いている。日ごろはあまり、気をとめず、また風景などをみることもなく、そのなかに埋め込まれたまま電車や車にのって、あるいは歩行して生活している。
 この日は、高円寺のケーキ屋さんの前で、ウィンドウの外から眺めていると「劇場」感がやってきた。白い調理服、頭の上のぽんと乗った帽子、せわしなく動き回るケーキ職人、思案するお客・・・。
そこには、一歩、世界の外に出た自分の目線がある。「世界は、本当は劇場である」とぼくはその時、マジ思うのだ。

image008.jpgimage009.jpg 家に帰ってTVをつけると『地下鉄(メトロ)にのって』という映画をやっていた。(原作、浅田次郎。監督篠原哲雄。出演、堤真一、岡本綾。2006松竹映画。HPは、http://www.metro-movie.jp/
 地下鉄を降りて外に出るとそこは、1964年の東京オリンピック時代の東京であった。タイムスリップの映画である。ぼくには、こういう時間をテーマにしたものは、それ自体が面白い。
 心理学者の岸田秀は、確か「時間、歴史は悔恨(かいこん)によって生じる」ということを言っていたと思う。「そうありたかった」という欲望が、「そうでない現実」から過去と未来に投影される。そうした人間の心理が過去と未来そのもの生み出すというのである。
 写真は、主人公のみち子(岡本綾)が、自分を身篭る母親(常盤貴子)に対面しているシーン。この後、みち子は、母親を抱きしめたまま階段を自ら転げ落ちる。真次(堤真一)の腕の中に抱きかかえられるみち子は、存在そのものが消失してしまう。

 1964年は、ぼくは10歳。貴方は何をしていただろう?えっ!まだ生まれていない。

「土曜参観と自然のミニ宇宙とCCAA宿題」・・・08/06/7(土)

image002.jpg 土曜日は、土曜参観と道徳地区公開講座があった。本校の来校者は、実数で、1100人より少し多い。なんと、都図研大会より多いではないか。終了後、1時間年休をとり、帰宅し、夕方に昼寝?した。
 「ウサギ小屋」の我が家は、ベランダに鉢を置き、メダカを飼っている。江古田と下北沢と益子の骨董屋で買った3つ鉢に水を入れている。
 暑くなってきたせいか、水草がどんどん伸びる。ふと見ると7〜8ミリの小さな花が咲いていた。水と植物と生き物がいるとそこに生命のミニ宇宙が、出現する。自然の力は、「すごいな〜」と感嘆する瞬間である。
 「CCAAの宿題」がまた来た。S・Mさんからだ。「好き」をテーマに図工を展開しているのだそうだ。自分と子どもの接点をワンポイント、テーマにして授業をつくっていくのもいいやり方ですね。
image004.jpg Sさんは、新卒以来知っているが、Sさんの世代の仲間は、皆さん、好奇心が強く、積極的に研究や研修に参加している。どんどん経験を積んで、力がついてきている。時代を担う世代であると密かに期待している。

「東京国立近代美術館工芸館夏季鑑賞教育研修会」・・・08/06/6(金)

 都図研夏季鑑賞教育研修会の打合せが、東京国立近代美術館工芸館であった。工芸館にいくのは久しぶりだ。何年前に行っただろう。
工芸館の建物は、旧近衛師団司令部庁舎を改修して使われているレンガ造りの重要文化財で、なかなか歴史を感じさせるものだ。
 ポツダム宣言の受諾を否認した近衛参謀らによるクーデター未遂事件(「宮城事件」(きゅうじょう))の歴史的な場所である。
image005.jpg ぼくは、工芸というと日ごろなじみが薄いのだが、国宝級のほんものを「タッチアンドトーク」で触れながら鑑賞し、比較検討できるのが、今回の目玉になるであろう。工芸作品は、他の美術のジャンルの表現と異なり、直接にメッセージや感情を作品から受け取るというよりも、そこには、材質感や技法、機能などが、入り込んでくるのが、特徴と言えよう。
 けれども、対象を知識として得ようとするのではなく、見る側の意味作用として捉え、材質、技法、触覚、視覚、イメージ、機能性などを身体感覚として受容する中で、素朴に自分が感じ、考えるという見る側の視点から捉えれば、美術であれ工芸であれ、同じなのではないかと考える。そのあたりを大切した鑑賞ができればと思う。
 工芸館の今井さんを中心として、はりきって、すごい作品を用意してくれる。
帰り道、工芸館の裏庭の巨大な鍛金のオヴジェに自然に「タッチアンドトーク」(たたいてはだめですよ!)しながら話し合う南、岡田、大畑の都図研の三人の担当者の姿はまさに子どもの鑑賞と同じなのであった。
image006.jpg 工芸の鑑賞は、まだ未開拓の分野なので、どんな鑑賞ができるか、研究していただきたい。
具体的な案件をさらにつめて、皆さんの参加募集を募る。研究局のスタッフの皆さんもよろしくお願いします。
 帰りに西洋美術館の寺島さん、藁谷さんとお茶をして、ロンドンやアメリカや横尾忠則などの楽しいお話を聞かせていただき、家路に着いた。
明日は、土曜参観。2週間休みがない。

「東京都小学校教育研究会連合常任理事会・理事会総会とプラダのビル」・・・08/06/5(木)

 今日は、フロラシオン青山で、都小研連の理事会・総会・懇親会があった。理事長は、昨年に引き続き、池田芳和校長先生(港区立御成門小学校、校長会会長)。
image002.jpg この会は、都図研にとっては、活動の根拠となる会である。予算および研究活動は、この会によって、支えられている。13の教科、領域が集まる団体で、会費は、東京都の各学校から、1万3千円いただき、事務局が集約し、各教科に配分している。すべての区市町村、島嶼からいただいている。都教育委員会の直属の団体ではなく、公的に認知された任意団体である。
 というのも、教科研究無くして、実際の教育の質の向上は得られないからだ。行政的に研修、研究をすべての都の教職員に十分におこなうのは、人的、空間的、質的に不可能である。東京における教員の資質向上にはなくてはならないそれぞれの都の研究団体である。
 本間理事長、南副会長、鈴木副会長、遠田副会長で、図工の活動を宣伝してきた。
 ところで、青山は、ファッションの街だ。カッコイイブティックが並んでいる。こんなところで買い物をしていたら、いくらお金があっても足りないぞ。
 会場に行く途中にカッコイイビルがある。「プラダ」のショップである。(公式サイト。http://www.prada.com/
image004.jpgイタリアで皮革製品の店としてはじまったらしいが、現在では、世界的に影響のあるブランドらしい。
 ファッションは、りっぱにARTのひとつであるが、日本が唯一、世界的に通用しているのは、この分野だけかもしれない。美術は、ほとんど相手にされていないのが現状であろう。
でも、ぼくみたいな庶民には、やっぱり縁遠いかな。

「若林奮(わかばやしいさむ)?とギブス」・・・08/06/4(水)

image001.jpg この写真は、彫刻家「若林奮」(1936〜2003)の作品。ではない。もの派のリ・ウーファンの?作品でもない。実は、家の近くの元信用金庫の跡地である。がっちりした建物を解体し、瓦礫はどこかに運び去られ、赤土が姿を現した。
 ぼくが、45年もの昔、遊んだ空き地が再び姿を現したのである。囲いで覆われその場所は、しばらく見えなかったのだが、囲いははずされ、トラック用の鉄板が敷き詰められていたのであった。
 まるで、現代美術のような光景が突然出現し、思わずシャッターを切ったのであった。ぼくは、そこで野球に興じる少年の自分の姿を思い出し、また、最後の真正な芸術家ともいうべき若林奮を思い出したのであった。
 風景には記憶が眠っていて、突然、呼び覚まされることがある。

image004.jpg 午後は、昨年、都図研大会をおこなった青柳小で、文京区図工部会があった。というのも、前部長の榎本先生が、アキレス腱を切ってしまったので、会場にしたのである。
 松葉杖をついての勤務はなかなかたいへんだ。ジョージ・シーガルのように包帯石膏でぐるぐる巻きにした足は辛そうである。(ちなみに「シーガル遊ぼう」という今は亡き池袋のセゾン美術館と都図研の鑑賞教育の企画の再にオープニングパーティで、サインをもらって握手したことがある。ずいぶん昔だけど・・・あのサインどこにいったろう?)
 来週には、歩行用のギブスに取り替えるらしいが、はやく復活するといいですね。無理せず、がんばってください。

「携帯お騒がせしました。と共通事項」・・・08/06/3(火)

 携帯がでました。ひょんなとこから・・・・お騒がせしました。データを今度、新器にコピーします。

 ところで、新学習指導要領の解説書は、6月末か7月はじめに出ると予想されている。中央説明会が、30日と1日にあるので、その時には内容がわかるはずである。でないと今更日程は変更できないだろう。
image001-1.jpg 「共通事項」というのは、今回の目玉であるが、よく考えると、わかるようで、わかりにくく、当たり前のようにも感じるが、どんなものなのか説明するにはなかなか難しい。と思っていたところ、『形 Forme』という雑誌のNO287—2008号に、水島尚喜先生(清心女子大)が論文を書いていた。
 視点や背景や音楽科との比較を通じて、説明している。
 それは、「指導内容」ではなく、「領域や項目などを通して子どもが獲得する資質や能力を整理したもの」としている。
 図工の「共通事項」は、あくまで子どもの資質能力論として展開されており、実体的な内容と捉えるとなかなか理解できないものとなる。
 「共通事項」を理解したい方に、ぜひ、ご一読をお奨めする。

「ぼくの携帯ちゃ〜ん!!」・・・08/06/2(月)

image001-3.jpg ふと気づくと携帯がない。昨日の夜からか、学校にきてからか?どこに行ったのか。図工室をさがしても、職員室をさがしても、電話をかけてもらっても気配がない。家にも、車にも、どこにもない。
 「しょうがいない」と新しく携帯を買った。ぼくの携帯は、今はなき、ソニーのくるくるタイプなので、もうないそうだ。新しい携帯はまったく使いづらい。
 ところで、データが全部吹っ飛びました。皆さん、小生の携帯に、メールしてね。登録しますので。こっちからは、かけられません。よろしく。

「餅つきアンド原稿アンド会議」・・・08/06/1(日)

 昨日は土曜日とうって変わって晴天。餅つきと交通安全教室が誠之小であった。毎年恒例のPTA行事である。本校は、校庭に大きな木があるが、木陰をつくってくれるので過ごしやすい。
image002.jpg 餅つきは、すでに体力の衰えを痛感させる。握力や杵を打ち下ろす回数が続かない。それにしても、もち米が、つかれて、つやつやの白い餅に変化していくのは不思議である。そして、つきたてのお餅は、何故かうまい。
 1時半に学校を後にして、帰宅し、穴澤さんから督促のあった「美育文化」の原稿を書く。InSEA大会にむけて、「造形遊び特集」の英訳版を出すらしい。なかなかいいアイデアだ。外国人に、「造形遊び」はどう受け取られるであろう。
image004.jpg 3時過ぎ今度は、「淡路町」で会議があった。(綱渡りだな〜)日曜日の夕方は、人通りも少ない。近くに有名な神田「藪そば」がある。昔食べたが、味は忘れてしまった。自分は、神保町の「出雲そば」が好きである。
 日曜日は、この辺りは、散策が楽しいのだけれど・・・今度にとっておこう。

ひつじ日記

昨年度のコラムです。

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