とずけんどっとこむ

「自己チュー症候群を超えて」・・・08/07/28(月)

 最近は、組織運営にかかわるようになったので、物事は、関係性の上で、生じることを実感する。
 教師自身も、自分を絶対的なものに固着せず、周囲や時代の変化を考えながら、対応していく柔軟さが必要とされる。

image002-1.jpg ところで、雑誌「BT8月号」をみていたら、岡崎乾二郎というひとが、「演習」を特集していた。最近は、世代が変わってしまって読者も若いので、マニュアルっぽい編集が多くなってきているかな?
 そんななかで次のような文言が目を引いた。最近はいろんな場所で「芸術とは何か」と議論する機会が多いと岡崎は言い、そして気付いたのは「大体の人の考えはね、最初から人間というものが毅然としてあること。人間の魂の存在を疑っていない」ことである。
 岡崎は、魂があるというのを疑わしく思っており、むしろ、もともとあるのではなく、魂を自覚する、魂が生まれることがポイントだとし、そのポイントとして「芸術とは人間に魂を自覚させるための方法」であるとする。
 魂がないという言い方は誤解が生じるかもしれないので、魂は「不定形」または「可塑的」なものだとし、それらは、外界、世界と接触した時に、変容していくものだとする。
 さらに、もともと確かな自分などはいないし、「感覚はいつも外からやってくる」もので、感覚には自分の感覚などというものはないとする。そして「自分の感覚を組み立てることは、他人としての感覚を組み立てることだ。重要なのは、他人、他者になるってこと」と断言する。そしてそういうひとを「超人」(スーパーマン)と呼び、超人をすすめ、「人間ってのはね、自分に囚われてしまうくらい、情けないことはなく、自由の身であるくらい、ありがたいことはありませんぞ!」と述べる。
 図工も不定形な魂をARTという技術をとおして、そこに現しめ、他者や外部の感覚を取り込みながら、自分自身を絶えず更新していくような営みと言えるかもしれない。
「ワタシ」を実体化する自己チューな態度は、願い下げである。

「箱づくり(3)」・・・08/07/27(日)

image002-2.jpg 日曜日は、3時過ぎにCCAAに行くと「木工作のワークショップ」をやっていた。この酷暑のなかCCAAの図工室は熱気ムンムンであった。皆さん、汗だくになってノミやヤスリで木を削っていた。実に健康的な感じである。脳だけではなく、体でつくる。これは作品づくりの醍醐味である。こうした体験が身体の記憶のそこに沈んで、造形体験となる。
image004-1.jpg ところでぼくの「箱づくり」であるが、ウッドパテが終わり、今度は、アクリル系の下地づくりとなった。
 いつもは、リキテックスの「モデリングペースト」を使用していたが、新宿の「世界堂」にいくと最近は、アクリル系の絵の具も多種多様で、いろんなものがたくさんあった。今回はホルベインのモデリングペーストを使ってみることにした。石材をアクリル樹脂でペースト状にしたものだ。ヘラで、盛り上げて、乾かしてから研磨する。これを何回も繰り返し、表面をフラットにしていく。でかい作品だと何ヶ月もかかる。
image005.jpg こうしたやり方は、もともとは、大学の時、成田克彦先生(故人)の授業で習った。ラッカーパテだったけど。まさに自動車塗装。(成田克彦は、「もの派」で名をはせた作家で、「炭」を焼き、ごろっと画廊に投げ出しておく作品が有名である。)
 成田先生は、高松次郎(1936〜1998)のアシスタントをしていて塗装のやり方を覚えたらしい。また、多摩美卒で、斉藤義重(1904〜2001)にも習っていたようである。
image009.png 高松次郎の作品は、近代美術館にある赤ん坊の「影」や遠近法の立体作品が有名である。写真の「布の作品」もそうだが、知覚と実在の関係がテーマになっている。敷くと四角い布なのだが、中央に本来ないはずの「たわみ」ができる。(ぼくがすきなのは雑誌『みずゑ』にのっていた食堂の普通のいすのひとつの足をレンガの上に乗せて、イスがちょこっと傾いているもの。作品や表現というのは、身の回りの現実に少し手を入れる、あるいは、そう思っているところの現実の関係を変えることでちがったものになる。ということを気付かせてくれたのであった。)
 斉藤義重の作品も同様に知的である。そう簡単に情緒的な感情移入をゆるさないのである。元来、情緒的な自分としては、なかなかむずかしいのではあるが、そこには、ものを対象にした思考する力を感じる。この辺りは、日本人のもっとも不得手とする部分なのではないか。

「フィンランドの学校、工作3時間・絵画2時間」・・・08/07/26(土)

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 26日付けの朝日新聞で、タンペレ市の小学校「週時程」を藤井ニエメラみどりさんという地元の学校に子ども通わせるひとが、紹介していた。全体像がわからないが、その表をみるかぎり、「工作」が週3時間(45分を3本)、「絵画」週2時間(90分を1本)とっていて、図画工作が週当たり5時間も実施されているのであった。
 フィンランドというとすぐPISAの調査で得点や順位ばかりが日本では取りざたされるが、こんなに図工の授業がおこなわれていることは知らなかった。やはり、子どもが、自分の手で、実感し、感じ、それらを、自分の中で構想し、何らかの表現手段を用いて表現し、みる。または、伝え合うという、活動過程は、知を総合し、生きる力を培うことと密接に関連していることをよく理解していると推測される。すぐに、知識量や数値に換算して、差別化する日本のなんだかよくわからないヒステリックな心性とは、かなりちがうようである。

「箱づくり(2)コーティング」・・・08/07/25(金)

image002-3.jpg 今日は昨日よりさらに暑かった。箱の製作の続きである。
 釘での固定は、さびや亀裂がコーティングの表面に出てしまうので、さらに、ボンドとベニヤでもう一枚表面貼る。仮止めのクギを抜いていく。
 クギを抜いたら、ふちの「バリ」をカンナ、のこぎり、カッターで削って、箱のエッジを整える。面と面がぶつかったところにエッジが出現する。この稜線が、立体であることの根拠であることを実感する。普通、製図上では、鉛筆で描いた一本の線が、この稜線を暗示するのだが、3次元上では、暗示ではなく、実在として存在してくる。これで、一応、形状は完成する。
 さらに、クギ穴やベニヤ表面の凸凹に「ウッドパテ」埋め込む。ウッドパテは、木材の粉をメディウムで練ったもの。一種、木屑の絵の具だ。
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 へらで埋めていく。これは結構職人技。パテ塗りをし、乾かし、紙やすりで磨く。こうした行為を2、3回繰り返す。磨くという行為は、それ自体が面白い。何も考えないで、触覚のみが息づく。よくストレスのある子は、木をみがくことにのめり込んだりする。磨くこと自体が楽しかったりする。ここでもエッジが難しい。
 パテを塗ったり、磨いたりしはじめると、ベニヤのもつ質感が、変質して、箱のイメージが変容しはじめる。形体そのものは、変化しないので、表面の塗装の状態で、ものの感じが変化してくるのである。表面に色彩をほどこすことは、事物が視覚性をより強く帯びることだ。。
image007-1.jpg 赤いカローラと黒いカローラ、青いカローラでは、車種が同じでも、まったく印象が異なってくる。ちょうどそんな感じである。パテを塗り、塗装する技術は、ほとんど自動車塗装向上のものであった、アトリエのものではない。しかし、自動車や器具なら、使い手の機能があるが、この作品には、そうした機能がない。というか、純粋に見るという機能に向かうとでも言ったらいいのであろうか。
 時間が来たので、作業をやめ、廊下に置いてみた。かなり完結した作品であるが、場との関係もそこにはある。さらに塗装すると全然ちがったものとなるであろう。続きはまた今度。 

「パネルづくりから、箱づくりへ」・・・08/07/24(木)

image007.jpg 昨日、今日とくそ暑い中、PTAに頼まれた舞台看板用のパネルをつくった。4メートルかける60センチの結構でかいパネルである。
パネルづくりは得意で、大学時代は、パネルづくりばかりやっていたような気がする。作品もパネルみたいなものであった。
汗が吹き出る中、歳で体がうまく動かないが、なんかじわじわっと、ある感じが思い出された。あまり考えず作業するこんな感じあったなあ。と体が言うのであった。
むしょうに「箱型」がつくりたくなった。ので、倉庫にあったベニヤで、「箱」をつくることにした。それに、創立60周年記念ティチャーズ・ワークス展に出す作品がないからそれをかねて。 
 箱といっても正確な立方体ではなく、微妙に寸法のずれた直方体。ぱっと見るとただの箱であるが、よくみると「あれっ」っと微妙にゆがんでいる。まあよくみてもただの箱なのだが・・・・。実にイメージの希薄な奥ゆかしい作品である。ほとんど自己主張というものがない。
 けれども、作業を進めるには、ここちがよい部分もある。極めて身体的な軽快感があるし、また自我や情動に惑わされることはない。
先ほどイメージがないといったが、正確には「箱」というイメージはある。「箱」とはなにか?部屋、建物、菓子箱、入れ物・・・・身の回りいろいろな箱が散在する。
 広辞苑でひくとまずいろいろな漢字があった。「箱」「函」「筥」「匣「筐」。
 意味は(1)物を納めておく器。(2)厠で糞を受ける箱。おまる。(3)転じて人の糞。(4)挟箱(はさみばこ)の略。(5)三味線を入れる箱。転じて三味線。また芸者について三味線を持って行く男。はこや。(6)牛車の屋形(やかた)。車箱。鉄道車両の車室。エレベーターのケージ。(7)岸壁で囲まれた渓谷の一部(東北地方でいう)。(8)箱入りの略。取っておきの芸。十八番(おはこ)。
 まあ、箱には、「うんこ」から「死体」まで実にいろいろなものがはいるんだな〜。それから、三味線か!比喩ですね。「赤頭巾」ちゃんと同じ言い回し。それから、人の住む空間。盆地も「箱」かな。
 箱というのは「内側」と「外側」が遮断・分節された空間でものや人が詰め込まれる。
アートで連想するのは、ジョセフ・コーネルの箱。イメージがいっぱい詰め込んである夢の箱だ。一方、ドナルド・ジャッドの箱は、「それ以外、何も意味しない物体」だ。じゃ、何が詰め込んである?かというと「アートという観念」かもしれない。
 ぼくの箱は、面で閉じてしまっていて中は空洞だ。だから、箱というより「立体」と言った方かいいかな?「立体」を同じく広辞苑でひくと、「3次元の空間的ひろがりをもつ物体。また、物体が占める部分空間を抽象化した幾何学的対象」とある。
 また「立体幾何学」というのもあった。「空間における点、直線、曲面、立体、またはその集合から成る図形について研究する幾何学」。「幾何学」というのは、「数学の一部門」で「物の形、大きさ、位置、その他空間に関する性質を研究する学問」だそうだ。おや、パスカルの「幾何学的精神」とうのもあったぞ。「幾何学のように原理から演繹する論証的、合理的な認識の精神」のことだ。
 とにかく「縦」「横」「高さ」の広がりのなかで、点や線や面、また、形や大きさ、位置などの要素をもつ物体ということになろう。(もっとも、数学的な言語から、落ちこぼれた身としては、幾何学も数式もそうした概念もほとんど脳ににないが・・・)
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 さて、粘土や一木から、「箱」をつくるには、削ったり、付加したりする行為が求められる。そして、材料の特性から、その方法は、引き出される。
 ぼくの方法は「ベニヤ材」である。ちょうど紙を切って箱をつくるようにつくる。が、紙よりは、材木は硬度が高く、のこぎりやかんなや釘や玄翁が必要となる。しかし、要領はほぼ同じである。
 粘土や一木の場合、材料の質感やボリューム感が、操作とともに変化していくのだが、板を張り合わせ、組み立てていく、この方法は、ひらっと、重みがない。粘土や一木のような存在感が希薄なのだ。むしろ、稜線の際立つものすごく視覚的なものとなる。
 ぺらぺらの板を組みたてていくと、ある占有した箱状のものが出現すると言う感じなのだ。大理石で同じ形状のものをつくったら、ぜんぜんちがってくるだろう。
 20世紀の空間的な彫刻は、こうした板状のつくりだす軽快さがある。アレキサンダー・カルダーの「モビール」は空間的で浮遊しているが、「スタビル」も、板状で、空間を面で仕切ることで成立するような形式である。
 初期の川俣正は、ヌキ板で、空間を「工事中」のように遮断したが、一層、その環境に依存した作品となっている。
 ところで、頭で組み立てを考えるのと実際に組み立てるのでは、ずれが生じる。それに、観念では、面は厚みをもたないが、現実のベニヤ材は、4ミリとか、12ミリとかの厚みをもつので、少々そこで、てこずるのである。それになかなかうまくは切れないのである。なんでもかんでも、やってみると考えていたのとはことなる事実がそこに生まれてくるのである。その違いに出合うことこそ面白さである。失敗ではない。
 基本的なパーツを切り出し、組み立てていく。組み立て方も考えながら、また、部品を切っていく。強度を考え、木工ボンドと釘で、固定していく。
 微妙な斜面は、ずれが生じる。修正しながら、基本的な骨格を作り上げる。さらに、上からの塗装をおこなうために、薄いベニヤ材をボンドだけで固定していく。釘は、半分打ち込み明日になったらはずす。
 今日は、ここまで。暑い中、がんばった。

「ジョージ秋山 アシュラ」・・・08/07/23(水)

image001-4.jpg 床に寝転んでいたら、平積みの本の一番下に「アシュラ」という漫画があった。寝しなに何気なく読みはじめてしまった。
 これは、ジョージ秋山が、1970年に「少年マガジン」に連載した当時チョー物議をかもした漫画である。飢餓によって、人肉を食べたり、殺戮したりを繰り返す中世をモデルにした漫画で、当時、よくこんなものを少年誌で連載したものだと思う。
 「決めぜりふ」は、「生まれてこないほうがよかった」。
70年というとぼくは、高校1年。70年安保があり、フォークゲリラなどもあり、まだまだ世の中に、異議申し立てが、残っていた。
 ぼくが小学生のころ、少年サンデーでは、赤塚不二夫が「おそ松くん」を、森田拳次は、「丸出だめ夫」を連載していた。以後、赤塚は、「天才バカボン」で、その天才振りを遺憾なく発揮し、一世を風靡していく。
 一方、森田は、「丸出だめ夫」以降、アメリカへ、移住し、一コマ漫画を描き始め、少年誌の主流の座から、離れていく。実は、小学生のぼくは、赤塚の現代につながるギャグ漫画よりも森田拳次の「丸出だめ夫派」であった。垢抜けないペーソスが残る森田の漫画がしみじみときたのであった。
 森田以後、現れたのが、ジョージ秋山で、「パットマンX」などのペーソスある路線を引き継いだのであった。そして、突然、「アシュラ」や「銭ゲバ」などの人間の業や正義、悪をテーマにしたものを描き出したのであった。
 思えば、丸出だめ夫も「よい・悪い」というような価値観に対する反駁が潜在的にあり、そうした倫理性に関するテーマを秋山は、師匠から引き継いでいるように感じる。赤塚のギャグが、徹底してシュールなギャグそのものの世界にたどりついたのに比べ、森田、秋山路線は、社会の底辺をみつめていて人間くさい。
 ところで、バカボンのパパは、あのとおりであるが、「ママ」は、実に理想的な「ママ」である。赤塚の描く母親像は、世界の豊かさを示し、ママは決してギャグ化されない。普通のひとなのだ。
 一方、「アシュラ」の母親は、自分が飢餓のため、自らの子どもを焚き火くべて食らおうとした母親である。その違いは、初発の世界に対する態度そのものの違いである。そこが、決定的に食い違っているのだ。
そうした世界観は、世代をこえて繰り返されていく。ちょうど児童期に虐待された親が、虐待を繰り返すように。
 ひとは、自ら望んで世界に生まれてくるわけではない。だから誰でも「生まれてこないほうがよかった」と一度は叫ぶのである。が、生きることを受容し、自分の中に前向きなものとして取り込むには、自分と関係する他者の存在が大きくなるのである。ひとは、他者によって、己となる、のである。
 昨今、孤立感とニヒリズムに満ちた若者の殺傷事件がおきているが、世界を受容できる心情を、世界との関係のなかに築き上げるシステムや環境が急速にくずれているのが現代の状況であろう。
 図工教育もそうした課題を含んでいる。

「本部役員会」・・・08/07/22(火)

image001-3.jpgクリックすると拡大します。 一学期も終了し、その間の都図研の行事も一応無事、おこなうことができた。夏および、今後の大きな行事について確認連絡のため、誠之小で各局長以上の役員の方にお集まりいただき会議をおこなった。
まじかに迫った「全国大会」「INSEA大会」「周年行事」「鑑賞研究会」など、研究局、研修局、特別委員会、教育課程検討委員会、事業局、広報局、事務局より、ご提案いただき長時間に渡って協議いただいた。
 熱中症になりそうな暑い中を来校していただいた役員の皆様には、本当に頭が下がる思いである。
 19日の日記でもお話したように現在、都図研は「ポストモダニズム」の「再構築の時代」の只中にいる。
 さまざまな軋みをたてて、時代や組織が変化しつつある。そして、都図研としておこなうことも、質的、量的に変化しつつある。しかしながら、こうした活動をおこなうには、体力と知力と情熱と時間をかたむけて、おこなわなければならない。
 役員の皆さんは、それこそ主体的に、また、恣意的な思いを回避して、図工の総体を意識して、活動していただいている。
 とりあえず、皆さんの協力でこの夏を乗り切りたい。

「松田正平の犬の絵のある蕎麦屋」・・・08/07/21(月)

image006.png 江古田の駅のそばに、蕎麦屋がある。「きのえね」という店。なまこ壁の重厚な民家づくりの建物で、そばも美味である。その壁に何気なく飾ってあるのは、松田正平という絵描きの絵。いまでいう「へた・うま」の元祖のような絵なのであるが、何とも味わいがある。
 昔から飾ってあり、店の主人の嗜好が、雰囲気となって現れている。
 数年前、日曜日美術館で、特集を組んでいた。あまり、世俗に染まらない生き方がそこにみえた。この犬?熊?の絵の表情の微妙さ。複雑さ。なぐりがいたような簡単な絵なのに、そう簡単ではないのがこのひとの絵である。
image007.jpg たぶんTVでみた時に犬を飼っていたので、この絵はその犬であると思っている。
 アトリエで描く姿をみていると特性のかみそりで、画面を削っていた。塗っては、削り、塗っては削りながら絵を描いていく。微妙なマチエールがそこに生まれ、微妙な色調が支配していく。画家はその時何を画面に込めているのだろう。

「ホテイ草の花が咲いた」・・・08/07/20(日)

080720_0716~01.jpg 日曜日はオフだった。明日は仕事が入っているので今日だけ休み。ベランダの水がめのホテイ草の花が咲いた。美しい。はじめてみた。が一日で散った。

「創立60周年記念座談会とティチャーズワークス展下見」・・・08/07/19(土)

image001-2.jpgimage002-2.jpg 土曜日は、午前中CCAAで、「ティーチャーズワークス展」の下見と午後から「座談会」があった。高橋先生、鈴木先生、上野先生、中島先生、田村先生、鈴石先生らと打ち合わせをおこない展示などの見当をつけた。人数は、参加調整などで、現在99名となった。午後にこられる石井弘先生に声をかけてOKが出るとちょうど100名となる。(声をかけるとOKがでた。100名だ)

 午後は、3時から、石井弘先生、鈴石弘之先生、横内克之先生、辻(司会)で、「都図研スピリッツ」〜都図研後半部30年の軌跡〜と題しておこなった。
 ぼくは、個人的に都図研を、

  1. 「黎明期」(S23〜S30年代前半)
  2. 「経済成長期」(S30年代、40年代)
  3. 「ポストモダン期」(S52〜現在)

と区分し、さらに、3の「ポストモダン期」を

  1. 「ワークショップ」の時代
  2. 「素朴の原理」の時代
  3. 空白期
  4. 再構築の時代

と区分した。
 今日の座談会は、S52年頃から今日に至るまでの出来事について話をしていただきあと、今後10年先の活動についてうかがった。
 石井先生は、理事長をS53、54年。副会長をS57〜60年におこなっている。
 鈴石先生は、理事長をS58〜61年。会長をH5〜10年とH15〜17年の二期。
 横内先生は副会長H14。理事長をH15〜16年。
 小生は、理事長をH9〜10年。会長をH18〜現在までおこなっている。

(1)「ワークショップ」の時代

  •  S52年に学習指導要領で「造形的遊び」がでた。それまでの系統主義的なものからの構造的な変革があった。都図研では吉田宏会長のもと、S55年に中野の城西大会で「ワークショップ」を立ち上げ、翌年『素材に出会ったこどもたち』を出版する。これは、素材や行為、空間をこどもに直接、対峙させることで、こどもの表現活動を拡張し、また、子どもの活動とは何かを提示したものである。事務局は若き鈴石弘之先生。40年代の都図研は、独自性として集約されておらず、民間教育団体や師範系、組合系の教育のモデルが混在したものであった。けれども、吉田・石井体制において、公教育の学校現場にこそ、子どもと教師が向き合う原点があると自覚し、そこから研究をはじめることが提案された。いわゆる「現場主義」とは、ここで自覚された教育活動の原点、姿勢を意味している。吉田先生は東ヨーロッパを旅行し、美術教育の動向を当時、海外との比較において考えられていたと石井先生からの指摘があった。
  •  吉田宏先生は、藝大出身で、こうした主義を喧伝したためいろいろな閥と敵対的な関係に多々陥ったが、現在からみると、激しいやりとりの中で主張しあう姿は、むしろ図工教育の共同性の存在を印象付ける。
  •  横内先生は、この時代の空気は「男性原理」支配された当時の様子が感じられると指摘された。鈴石先生は、須崎先生、山中先生、兼永先生などすぐれた女性もいたことを指摘されたが、潜在的であったと述べられた。こうした視点から都図研を語った人はまだいないが、現在の状況をみれば、多く女性が、都図研の実質的な活動を担っていることを考えると、当時と大きく変化した部分であろう。このあたりの検証をおこなう人が出現するのを期待したい。
  • ともかく、石井先生の発言から、当時の状況や「現場主義」の自覚や実践の証言は、現在に連なる都図研スピリッツ(精神)の根底にあるものを再認識させられた。

(2)「素朴の原理」の時代

  •  ワークショップ以後、子ども形と色をめぐって、今日の都図研の指導法に通じる実践がおこなわれはじめた。それまでの「描写主義」の説明的な表現や技能習得で覆われてしまった子どもの表現から、子ども本来の形と色の表出を目指して、主に絵の具や材料を「もの」として捉え、子どもに手渡し、自発的な表現として展開させる方法は、石井弘先生によって開発された。
  •  以後、内野務先生、中村隆介先生からはじまり、今日の南育子先生、岡田京子先生にいたるまでの子どもの絵に対する姿勢の水脈には、石井先生が提案した子どもの絵に対する水脈が生き生きと息づいている。
  •  この流れは、鈴石先生から「造形主義」という批判をよくいただくが、『素朴の原理』には、鈴石先生が提唱する子ども心理に基づいた表現事例も掲載されている。鈴石先生の指導の水脈は、野々目桂三先生らを発端とする「創造美育運動」の水脈に連なる。
  •  子どもの形と色をめぐって、「もの」からの切り口をとるか、心理的な側面から捉えるかの違いはあるものの、子どもを基点とした表現がめざされたことは、同じである。
  •  以後、さまざまな各教師による試行錯誤が繰り返され今日まで至っている。それにしても、石井先生の実践を保管しておいてよかったと思う。なんとも、シンプルで子どもや指導者の品のよさが伝わる作品群であった。
  •  やがてバブル経済を過ぎて時代は、急速に変転していく。

(3)空白の時代

  •  H10年に、図工の時間数が削減された。また、H13年には小泉内閣が成立し「構造改革」の時代がはじまった。「同時多発テロ」や「イラク戦争」が起きた。都図研自体の動きも、個人的な動きに分散されて、集約的な活動がなされていない。この時代は、これまでの「図工教育の内部の問題」が、「図工教育の存立の問題」へとシフトした時代であった。こうしたなかで、当時の矢木会長より、状況の「分析」をおこなってほしいと依頼され、都図研にかかわるようになったのが、横内克之先生である。
  •  横内先生は、都図研史の中でも傑出する理論家であり、その誠実な姿勢は多くの共感を得る方でもある。横内先生は、図工教育が、子どもの育ちの過程にどうかかわるかという、最も基本的な図工教育の視点を現場に持ち込んだ人だ。やがて、こうした視点を取り込みながら、「再構築の時代」を迎える。

(4)再構築の時代

  • 矢木会長以後、鈴石弘之先生が、二度目の会長を迎える事態となった。団塊の世代は、退職期を向かえ、新しい人材の流入がはじまった。これまでの歴史や文脈を共有しない集団へと都図研も変貌しつつある。
  •  また、図工の公教育における存在の意義や価値についても、絶えず「ふるい」にかけられる時代となった。
  • そこでおこなわれたのが『子ども主義宣言』のプロジェクトである。これまで都図研がおこなってきた実践のアーカイブ、新人の育成、共同性の回復と図工教育を公教育のなかに位置づける作業とネットワークづくりが課題となっている。

 今回の座談会では、石井先生は、子どもと向き合うこと原点をあらためて示唆していただいた。横内先生は、図工教育と子どもの育ちを結びつけることの重要性を示唆いただいた。鈴石先生は、ほぼ30年に渡る都図研の屋台骨を支えてきた経験と現在のCCAAという社会教育へと移行する中で、図工やARTのネットワークの重要性の示唆と今後の女性の活躍を期待された。

長時間にわたる座談会であったが、周年委員会の高橋先生、玉置先生、加藤幸子先生、それに、急遽、記録をお願いした早稲田大学の遠藤さん、お疲れ様でした。

「豊島区教育委員会訪問と城北大会会場校校長先生挨拶」・・・08/07/18(金)

 昨日は、終業式。夏休みに入る。担任の先生方も、ほっと一息であろう。非常に蒸し暑く、図工室を掃除していると汗が噴出す。
 午後、豊島区教育委員会訪問。教育長の日高芳一先生に、塚原真校長先生の案内で、大会実行委員と一緒にご挨拶。現場出身の先生で、研究、研修の大切さをよく理解している方であった。「子どもの見方を図工の先生にならえばいい」というのが印象的であった。お忙しいなかありがとうございました。
 一服してから、事務局長の山崎先生と会場校の清水哲也校長先生にご挨拶をした。こころよく会場校を引き受けていただいた。
 これで、城北5区の教育委員会の巡礼の旅も一応終了した。後は、議会で協議していただいた結果待となる。いい結果がでればいいと思う。
image001-1.jpg 山崎先生は、その後、一学期の打ち上げに向かう。たいへんおだやかな人柄で、今回の城北大会の事務局長を引き受けていただいたという。こういう人徳のある方がいないとことは進まない。都図研の活動は、こういう人に支えられて運営されていく。
 ぼくは、明日のCCAAでの「創立60周年記念座談会」の司会なので計画を考えなくてはならない。出席は、石井弘先生、鈴石弘之先生、横内克之先生、辻(司会)である。都図研60年の後半30年間を総括した話になると思う。それから、「創立60周年記念ティーチャーズ・ワークス展」の会場下見が10時からあるな。高橋香苗副会長と3日続けて、お仕事である。特別委員会もだんだん仕事が忙しくなってきた。
 最近、パソコンの前の床で寝る週間がついてしまった。玉置副会長も同じらしい。こーいう生活は直したいものだ。

「足立区教育委員会訪問と谷川俊太郎さん訪問」・・・08/07/17(木)

 昨日は、たいへん日差しが強く、歩いているだけでしんどい天気であった。
足立区教育委員会に、事業計画と予算書の提出に出向いた。足立区図工部の担当顧問の丸山校長先生のお取り計らいで、スムースにことが運んだ。感謝したい。城北大会関係の依頼は、明日の豊島区教育委員会への訪問で終了する。
各教育委員会への折衝は、大会のはじめの一歩であり、これがないと大会が成立しない。人によって大会は、当たり前におこなっているように思われる方もいるだろうが、公的な研究大会として成立するためには、事業計画や予算関係、後援名義申請など、公的な手続きが、おこなわれてはじめて事業として成立する。また、都図研が、都小研連を構成するひとつの団体であるからこそ、こうした大会が実施できるのである。
image001.jpg 都図研大会は、現在、都を8ブロックに分割したブロック制でおこなっている。詳細はわからないが、数十年におよぶ方式である。このことによって、ブロック並びに地域研究が活性化する利点があるし、過剰な負担が毎年、一部に集中することを回避もできる。また、輪番制でおこなうことで、全都を周回できることにもなる。けれども、まだ、すべての区市町村で開催されたわけではない。順番はいまだ途上の段階である。
 現在、都図研大会は、ブロック研究の発表の場であるとともに、都図研の継続的な研究成果の発表の場でもある。各地域から、集まってきた局員によって構成される研究局によって都図研の研究は継続的、集約的におこなわれている。研究局は1996年に発足した。都図研自体が、教科研究会であるにもかかわらず研究する部局がなかったのである。
都図研全体の研究体制を俯瞰すると、3つの様態がある。ひとつは、各区市町村における図工研究部の研究である。これは、一番身近な研究組織であり、それぞれの人員構成や実態に合わせた研究がおこなわれている。ふたつめは、ブロック研究である。市区町村をまたぐ、ブロックの連連携によって、研究をおこなうものである。地区がまたがっているため、なかなか日常的、継続的な研究形態にならないが、主に、都図研大会の開催の際は、大きな力を発揮する。三つ目は、都図研本部に直属する研究局の研究である。都として?の研究を推進する部署として、また、様々な事業連携や全国大会、関ブロ大会と連動する部署として位置づけられる。
この三つの研究体制が、都図研全体の研究体制をつくっている。これらが、有機的に連動することで、都全体の図工の研究が、支えられ、実質的に図工教育が進展する。
 都図研大会は、こうした研究体制の発表の場である。各地域、各ブロック、都図研本部が連動して、全国でもまれな質の高い研究大会が実施されている。都図研大会は、いわば、都としての研究の総体が発表される場である。
 足立区訪問が終わって、城北大会実行委員会と谷川俊太郎さんとの打ち合わせに別れて、でかけた。
 谷川さんとは、一昨年からの懸案事項であった「谷川絵本プロジェクト」の打ち合わせをおこなった。先生は、世界的な詩人であり、超多忙な方で、なかなか話がすすまなかったが、子どもの描いた絵を素材に、子どもが詩を書くというワークショップを谷川さんがおこなうという企画が提案された。具体的な計画は、特別委員会を中心に今後計画していくが、また、新たな子どもの世界が開かれる予感を感じた打ち合わせであった。
明日は、豊島区教育委員会に訪問する。その後、会場校の成増小学校にご挨拶にうかがう。

「安全の時代」・・・08/07/16(水)

080717_0728~01.jpg 家に帰るとドアの鍵を職人がかえていた。何事かと思いきや85歳の母親が一人で散歩中、若い男が話しかけて来て、手提げをひったくられた。幸い、怪我はなかった。が、ほとんど無力の老人をターゲットにした犯人の心はどんなものか。時代のセキュリティに関する問題が身近で起きた。
明日は足立区教育委員会と谷川俊太郎さん訪問。

「あと少しで夏休み」・・・08/07/15(火)

080716_0713~01.jpg 火曜日は速攻で帰宅し原稿をかきはじめたが、うーん、すすまない。二度寝したら30分朝遅くなってしまった。駅に行くと感じがちがう。時間帯によって動く人もまた異なってくるのであった。電車もやはり混んでいる。早朝の方が同じ通勤でも少しは気分がいいかもしれない。あと少しで夏休みである。

「都図研夏季鑑賞教育研究会」・・・08/07/14(月)

image001-1.jpg 近代美術館で、8月25日におこなわれる鑑賞研修会の打ち合わせを近代美術館工芸館でおこなった。南副会長、岡田研究局長の綿密な計画のもと、近代美術館、工芸館、西洋美術館、東京都現代美術館、研究局の若手のサブファシリテーターの皆さんが集まって、具体的な日程や方法、対象となる作品を選んだ。
 工芸を鑑賞で扱うのははじめてである。陳列準備中の館内を歩きながら各グループが作品を選んだ。これは何?工芸って何?というものもありなかなか面白くなりそうである。
 それにしても、かなり蒸し暑い日であった。作品に熱中するのはいいいが、「熱中症」には気をつけよう。

「InSEA大会連続発表・シンポ原稿」・・・08/07/13(日)

 昨日まちがって午前1時に起きてしまって、その感じが体内に残っていて、今日も1時に起きてしまった。体内時計がセットされてしまったのだろう。
 このところメールが頻繁に届く。InSEA大会の個人原稿も締め切りを過ぎて、届き始めた。通訳の佐々木さんに送付した。
image002.jpg また、シンポジウムのほうも横内先生から連絡が入る。紀要原稿はすでに提出していて、英訳が終わった。今度は、プレゼン用のパワーポイントと発表原稿を作成し近日中送付しないといけない。その他、60周年ワークス展、近代美術館での鑑賞研究会計画、西多摩大会関係、原稿執筆関係・・・・たくさんくるので、頭が回らない。
学校もあと一週間皆さん、がんばりましょう。
 今日は、近代美術館工芸館で打ち合わせがある。
 因みに、シンポ英訳は、下記のよう。

Panelist 4: Masahiro Tsuji, President of Tokyo Arts and Crafts Committee

The number of public elementary schools in Tokyo amount to approximately 1,300, to which teachers specializing in arts and crafts are assigned.
Tokyo Arts and Crafts Committee (hereinafter “Tozuken”) is a research organization consisting of teachers specializing in arts and crafts. There are a total of 1,800 arts and crafts teachers in Japan. This means that most of them are located in Tokyo.
Having been established in 1948, a few years after the end of World War II, Tozuken celebrates its 60-year anniversary this year. It was in 1947 that school curriculum guidelines (draft) were put forth. Thus, Tozuken’s activities began with the introduction of democracy after the War.
In the midst of an array of trends after the War to date, Tozuken has been consistently probing for children-centered arts and crafts education from the perspective of arts and crafts teachers at schools.
Post-war arts and crafts education will be touched upon from the following three periods:

  • 1. Dawn of arts and crafts education after the War
  • 2. Arts and crafts education during the period of economic growth
  • 3. Arts and crafts education during the post-modern period

1. At the dawn of arts and crafts education after the War, discoveries by children took place.
There is Keizo Nonome who is a senior member in Tozuken who appeared in the movie, Children Drawing Pictures (directed by Susumu Hani, Iwanami Movies 1956). This movie introduces arts and crafts education from a perspective respectful of each and every child. Arts and crafts education values the existence of children themselves, liberating their mind and directing them toward expressing theselves.
2. In arts and crafts education during the period of economic growth, systematic contents and methods of education were sought after.
With the advent of the period of economic growth, social infrastructure was set, and new life styles and scientific values were introduced. In arts and crafts education, emphasis was placed on design. Adult culture was segmentalized and systematized, and resulting educational contents were efficiently infused to children.
3. In arts and crafts education during the post-modern period, the framework of a modern educational system collapsed. This period became the time to question all the assumptions of the system. Around 1980 in Japan, phenomena including school violence, school truancy and bullying began to occur frequently. “Formative play” was introduced in the government school guidelines for arts and crafts education (1977, 1989). Unlike the emphasis on structured contents and methodology up to this point in time, the emphasis was shifted more on children situating themselves with materials, in places and spaces to face self. The focus was on whatever was generated in that process. At Tozuken, the trend toward “Workshop” occurred in 1980. Both of these activities focus on children and their expressions.
Since 1990s, the existence of arts and crafts education itself has been questioned due to the tendency to put the economy ahead of all else and the declining academic abilities of children. We are now in an era in which children themselves, with their body as their base, face the world, and feel, think, express and communicate with each other. Thus, we are required to reconstruct the meaning of arts and crafts education, sending the message of how valuable it is to society in general.

「CCAA 図工大好きこども美術展」・・・08/07/12(土)

image001-1.jpg あー何がなんだか、よくわからなくなってきた。昨日は、「ひつじ日和」をどうも出さなかったらしい。(菅原先生すみません)朝も、4時起床し、原稿を書かないといけないと思って、原稿を書きながら、しばらくして時計をみると、なんと、まだ、午前1時ではないか。一体・・・4時だと思って起きてしまったのは何故か?見間違え、錯覚・・・・確かに4時だったのだが。
image002-1.jpg CCAAにいくと、若い皆さんが、搬入、カタログ準備にいそしんでいた。「こどもの城」で開催される恒例の展覧会の準備である。今年から秋は若者、冬は年寄り?と2回開催となった。冬展は、CCAAで。もちろんわたしは、冬である。なんせ、起床時間さえ間違えるのだから。
 皆さん、休日にもかかわらずがんばって作業していた。横をみると、鈴石先生、クッキングに忙しい。スタッフに陶芸釜で焼いたピザを振舞うためだ。ランニング姿が、妙に懐かしい感じであった。

「都図研研究局、第1回公開研究授業」・・・08/07/10(木)

image003.png 新生研究局の第1回公開研究授業が高島第五小学校でおこなわれた。授業者は、副局長の大畑祐之先生。
 テーマ「子どもの夢中へと続く道」をもとに、体育館内部を潜水艦に見立て、3箇所の入り口にポリプロピレンをを貼り「窓」にし、外光を透かすような壁面を設置し、子どもたちが、ミラシートという安価な材料をはさみで切り取りながら、水で貼り付けていく
 導入は、昨夜、学校の池からとったミジンコをモニターで舞台壁面に投射し、味のある語り口で子どもに語りかける。題材名は「ミクロ アドベンチャー」というように、ミクロの世界を子どもちは、旅するのであった。
 池の水の中に生息する不思議な生物の映像に触れた瞬間、3年生の子どもたちは、一挙に、ミクロの潜水艦の旅人と化す。
image006.png それにしても、白い光の世界は、たいへん美しく、子どもたちもとりつかれたように、活動していた。大畑先生の緻密な計算、計画、準備のなかで、子どもたちの実にのびやかに自然に、発想しつくる行為が引き出されていた。その根底には、大畑先生の授業創造へのするどい直感と労をいとわない前向きな姿勢がある。
 協議会では、講師のメディアアーティスト鈴木太朗先生(東京大学情報学環)のお話も教育についていっさい語られず、たんたんとご自分の表現について話された。が、体験や発想がいかに表現活動へつながっていくかという話は、たいへんリアルに、子どもの表現活動と連動していた。ひょうひょうとした人柄が、味わい深かった。
 新生岡田研究局もいよいよ船を漕ぎ出した。

「研究授業・教科書調査」・・・08/07/9(水)

 本日は、水曜日で、校内研究授業があった。教科は国語。しかしながら、専門外のことは、なかなか難しい。教科研究というものはそれなりに奥が深い。
 夜は、「教科書」担当なので、21年度の使用調査をつくった。はじめてなので、わけがわからない。かなり面倒な表の作成である。
 教科ごと、使用教科書を調べ、児童数を記入し、トータルを出す。電卓片手に、計算すると、本校は5000冊を超える数が算出された。1年にこれだけの数の教科書が子どもに使用される。現在は「教科書無償配布制」によって、公教育は営まれている。
 教育は、たんに私的な思い込みだけで、実施されえない。公的な水準のレベルというものがある。
 図工でも、公教育の範囲において、何を育成すべきかという観点は、現在の活動において、常に念頭においておかねばならない要件でもある。その意味でも、「新指導要領」を各図工の先生方は読み込んで、活用されてはいかがであろうか。先日の理事会でも、そのようなことを強く感じた次第である。
 HPをクリックすれば、ダウンロードhttp://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
できる。是非、自分たちが、どのような範囲の中で活動するのかを確認されたい。
 その上で、現場の実情、実態から、授業を経営していくことがよいと思う。若い先生方は是非、活用して、活路をみいだされることをお奨めする。

「APA授業と都図研理事研究会」・・・08/07/8(火)

image007.jpg 今日ははじめて学校のセコムを開錠して通勤した。はじめてなので、解除できなかったらどうしようかと思ったが、特に問題は生じなかったので、解除できたみたいだ。なんで早くいったかというとAPA(写真協会)の鈴木英雄氏をはじめとしたカメラマンのみなさんとの合同授業があったからであった。ほとんど出張が続いたので、なかなか準備ができないのであった。
 あんまり蒸し暑いので、急遽、「水」をテーマとした「水物語」という題材を6年生で2クラスおこなったのであった。形のない水の形や色を考え、どんな形が考えられるか、また、それは、どこにあるべきかなどを導入し、それをカメラで撮る授業であった。それにしても、10人ほどのAPA軍団?の動きはすごい。実にテキパキとしてプロ、民間の動きのすばやさといったものを感じたのであった。
image008.jpg 内心、どうなるかと不安であったが、子どもは、やっぱり、なかなかなすごい。いろんな発想で、次々にいろいろな状態をつくりだし、写真を撮っていた。あっという間に午前の二授業が終わったのであった。
 午後からは、玉置副会長の北区滝野川第二小学校で、理事研究会があった。学期末のお忙しいなか、70名ほどの参加があり、ありがたかった。
 理事会は、都図研本部と各地域の図工部を結びつける実に、重要なパイプラインである。これが、行き詰ると教科研究自体の勢いがなくなり、図工の教育活動自体が、沈滞していく。現在のところ、理事の皆様の献身的な活動によって、都図研は、他に類のない活動を展開できている。理事の皆さんには、基本的には、学校での仕事とは別の、本務で無いにもかかわらず、多くの方が図工教育を発展させようとする気持ちによって活動されていることは、ほんとに重要なことである。
image009.jpg 他の研究会の様子を見ると組織の有機性が消え、ほとんど運動や事業を展開できない状態に陥っているところもあるようである。そうした状況では、個々の教師が孤立した状態になる。それでは、先の10年間は、保障しがたいものとなろう。
 若い先生方がものすごい勢いで増えている現在、理事研究会にも、多くの方が参加している。こうした若い先生方が、未来を開けるような研究会でありたいものだ。

「とても蒸し暑いと北区教育委員会」・・・08/07/7(月)

 今年、一番の蒸し暑さだ。誠之は半地下にあり、たいへんな高温多湿。クーラーはない。汗がじとりと噴出す。明日は、APAの鈴木英雄さんらが来て「カメラでアート」の授業をおこなう。あまり暑いので「水ものがたり」と題材をし、写真をとることにした。どうなるかな?
 午後は、北区教育委員会に城北大会の申請に出向いた。赤羽小学校の岩津校長先生にお取り計らいをいただき、たいへん助かった。あと豊島と足立くである。
 なかなかきびしい時代になった。5年間の大会決算書を提出せよと申し付けられた。大会は単年度決算で、過去の資料が散逸している。過去の大会事務局長に連絡して提出していただくことにしたい。
 今日は、滝野川第二小学校で、都図研理事研究会がある。

「成績というのはやっかいである」・・・08/07/6(日)

 土曜日、日曜日とずっとほとんどPCと向かい合っていると、視神経や首筋がおかしくなる。(首をぐるぐる回しながら作業するはめになる)
 でもね、期日は迫っているのだから、しないわけにはいかない。どーしてか、苦しくなると妙に散歩に行きたくなったり、読みたい本を思い出したりする。逃避的心情がそうさせる?皆さんもこーしてるのかな?などと想像したりしているうちは、まだ余裕がある。時間はどんどん過ぎていく。後数時間で出勤だとなると、何も考える余裕などなくなってくるのであった。
 でもね、成績をつけるのは、どこか、後ろめたさが残るのだ。いい授業ができれば、いい活動ができるから・・・。
 髭は朝剃らないと。明日は、北区教育委員会にご挨拶しないといけないから。

「ほっと、やっとの1週間が続く」・・・08/07/5(土)

image002.jpg 1日が終わるとほっとする。1週間がやっと終わるとほっとする。一学期もやっと、終わりが近づいてきた。
急激に、1学期は忙しくなってしまいほとんど出張の日が多い。大会関係の教育員会まわりや外部団体の仕事がけっこう入り込んできているせいかもしれない。それに指導要領解説も出たので、教育業界は一挙にあわただしい感じになっているようである。
 出て回るのは、身体的にきついが、原稿を執筆するのは、脳的にきつい。遅筆なのだ。何本かたまっていると余計にあせる。それに、1学期の成績は時間厳守である。(月)までだ。
 来週の予定。(月)は、北区教育委員会あいさつ。(火)は、カメラで授業。APA、鈴木英雄さんら来校。午後、理事研究会。滝野川第二小学校。(水)、3年生授業手伝い。(木)、第1回研究局公開授業。大畑祐之先生。となっている。
もうすぐ、一応夏休み。皆様も最後のひとふんばり、がんばりましょう。

「都図研特別委員会 教育課程検討委員会」・・・08/07/4(金)

 今日は、誠之小学校で、「教育課程検討委員会」があった。成績など学期末の忙しい中、お集まりいただき、委員長の平田耕介先生を中心に協議いただいた。
 1日に「解説書」も一般公開され、いよいよ学習指導要領の中味が提示されたので、本格的に活動が開始された。
 12月の理事会での「パンフレット」配布を目的に活動計画が検討された。
 内容としては、

  1. 「新学習指導要領と図工の時間」をテーマに、指導要領と現場の実践を関連付けた主張を盛り込む。
  2. 8ページぐらいの読みやすいものをつくる。
  3. 先に行った「中間まとめ」から、現在の現場の実態や状況を提示する。
  4. 実践のなかから、指導要領と関連付けた図工の時間が育む子どもの資質能力を提示する。
  5. 図工の時間で大切な骨子を提言する。

というような方向性が検討された。8月〜10月にかけて、今後、具体的な協議を重ね、編集作業をおこなっていく。
 考えてみると、指導要領は、私たちの図画工作の営みを位置づける法的な根拠である。言い方をかえれば、指導要領に図画工作が記載されない場合、図画工作は、公教育において存在しない。
 実は、ここのところが揺らいでいるのが、現在の時代の状態であり、図工の問題なのだ。
 図画工作の現場での実践の充実を図ることが、社会や世間の認知を得ることと密接に結びついているのである。個々の図工教師が、ここのところの問題に関して、どのような意識の水準をもちうるかが、10年後の状態を決定する。
そのための「パンフレット」が、教育課程委員会で作成、配布されるのである。

「うわー!サボテンの花が咲いたよ!」・・・08/07/3(木)

image002.jpg とぼとぼと家に帰ると、なんと、サボテンの花が満開であった。一夜限りのサボテンの花。
 うれしいことは、突然やってくる。それにしても、すごいなあ〜。白くて、本体よりずっと大きいぞ。それに2つも咲いている。明日は、教育課程検討委員会が誠之小である。

「文京区図工部会、新学習指導要領研修」・・・08/07/2(火)

 関口台町小学校で、橋本光明先生(信州大学)を招いて、新学習指導要領についてのお話を聞いた。中味についてのストレートな説明ではなく、解釈を交えた内容であった。図工教育の歴史や状況を踏まえたなかで、どのような意味をもつのかという視点も指導要領をとらえていくには大切であろう。
image003-1.jpgimage001-1.jpg ところで、アキレス腱を切った榎本先生(青柳小)も、復活しつつあった。すでに自律歩行もできていた。すごい回復力である。しかし。まだ長距離は無理ということで、歓送迎会後はTAXで帰宅された。お大事にしていただきたい。ちなみに、ギブスは6万円らしい。

「学習指導要領中央説明会2」・・・08/07/1(火)

 今日は、都庁前で、中央説明会の2日目。副都心線にのって出かけた。案外すいているし便利である。
image007-1.jpg 東新宿で、大江戸線に乗り換えた。壁面に中山ダイスケという現代美術の若手の作品があった。いろいろな駅にこうしたアート作品が設置されているらしい。
 そうこうしている内に、都庁前に着き、会場を探したがよくわからない。公園を抜けていくとあった。
image009.jpg 9時から12時。13時30分から、4時過ぎまで、奥村先生の熱弁が続いた。じっと聞く方もたいへんだが、話すほうもたいへんだ。解説書の説明会なので、余談や意見は、述べてはいけないらしい。正確に文言を伝えることが目的らしい。が、昨日とちがって、映像を用意し、わずかだが、事例をみせていた。ぼくのような人間は、シンボルを介在しないと音声記号だけでは、眠くなってしまうし、思考もできない。ので、ありがたかった。
 休憩時、窓の外をみると、都庁とコクーンタワーが、みえた。東京はでかい。
image008-1.jpg 都の指導主事全体には、また7月に説明会がある。資料は山田指導主事がまとめて発表する。という話を聞いたので、できたらくださいとお願いした。都図研の皆さんにも、資料としてお見せできればと思う。横山指導主事と「指導要領を領域別に、配列がえして、みるとわかりやすいね」と雑談する中で、もしできたら、つくってみるという。これもいただけたら、資料になるだろう。
 指導要領は、現場に、どう伝播していくだろう。

ひつじ日記

昨年度のコラムです。

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