「療養日記38」・・・2009/11/30(月)
○日曜日も寝て過ごしてしまいました。あっという間に一日が終わってしまいました。
それから、「千葉大会の報告」を簡単にレポートしましたが、千田先生の発表は、たいへん誠実なものであったことと、鈴石先生は、ぼくは「吼える」と書きましたが、たいへんソフトな語り口だったという感想が入りました。鈴石先生に関してはつい先入観が入ってしまいますね(笑い)。
また、本間先生は、日曜日は、教員サッカーリーグに右サイドバックで出場し、勝利したそうです。千葉大会、展覧会、サッカ—と、超人的なスゲー体力です!
本当は、ぼくは「自転車」で体力をつけてから、雨宮先生、吉岡先生、本間先生たちとサッカーをしようと目論んでいたのですが・・・・目標達せずとなってしまいました(涙々)。
○今週は、いよいよ「都図研城北大会」です。城北地区をはじめ関係の先生方よろしくお願いします。
「療養日記37」・・・2009/11/29(日)
○「都図研城北大会」まであと5日となりました。関係の先生方よろしくお願いします。月曜日には、城北大会の運営委委員会研究会があるので、ぼくも参加しようと考えています。
また、「大会派遣依頼」は、全都に各地区の都図研理事を通じて都図研本部から配布してあります。また、念のため、火曜日には、HPよりダウンロードできるようにしますので、現在アップしてある「大会最終案内」とともにご活用ください。
さらに、全国よりご参加の皆さんもお待ちしております。分科会などでも遠慮なさらず、ご意見感想をいただければと思います。活発な意見の交換が図工を発展させます。よろしくお願いします。
○土曜日は、背中がじ~んと痛くなってしまい、一日中寝ていました。千葉大会の疲れが出たようです。まだまだ軟弱です。
調子がよければ、「校内展覧会」のご案内いただいていたので、いこうかなとも思っていたのですが、安全策をとらせていただきました。あきる野の岩崎治彦副校長先生、今井先生の「五日市小学校」も展覧会でした。が、参観できませんでした。本間先生よりメールいただきました。写真は、岩崎先生指導のネコちゃんの題材です。
○火曜日からは、現場復帰の勤務となります。なんだかとても緊張します。ぼくのような者からみると、皆さんが毎日毎日働いている姿は、すごいと思えてきます。
「療養日記36」・・・2009/11/28(土)
○「全造・関ブロ千葉大会2日目 部分的速報!?」
おとといは、千葉から帰宅してすぐさま寝てしまった。翌日の昨日は、朝4時頃起きて、「大会1日目の速報」を書いて、HPの菅原先生に送付した。そのあと、さすがの疲れで昼すぎまで寝てしまったが・・・思いついて、本間理事長に「分科会」の様子をメールで送付してもらった。以下の「写真」は、本間理事長撮影である。詳しい様子はわからないのですが、午前中の「公開授業」を割愛し、午後の分科会の「部分的速報」として書いてみました。ネット社会(情報化社会)は、こういう点はすぐれていますね。
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東京の分科会は「1A体験や遊びを中心とした活動(自分の感覚を通して行う活動)」での発表である。静岡からは、長坂明典先生。千葉からは吉見和子先生、鈴木由美子先生、東京からは、西多摩大会の研究局長、千田万里子先生が発表した。三つの発表は、それぞれ行い、発表同士は、ぶつけない。意見交流はしない。こういう方式が最近多くなってきている。残念な傾向です。
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助言者の鈴石弘之御大(写真中央)。昨日は、静かに、ほとんど発言していないので、かなりフラストレーションが溜まっているようにみえた。今日は、かなり元気のいい発言になるかもしれない。
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発表者の千田万里子先生と司会の高橋香苗副会長。記録は加藤幸子事務局長が受け持ってくれました。
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「吼える鈴石」と本間先生からコメントつきで送られてきた!?何吼えたんでしょうか。気になりますね。
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分科会が終わった時点で、分科会の様子について本間理事長に様子を聞くと、次のようなメールが届きました。まず、千田先生の発表については、
「千田先生の発表は作品主義から子供主義にという内容で、他県の先生から、感動した。これから自分の実践を振り返るきっかけとしたいとの発言がありました。」
千田先生は、都図研西多摩大会で、研究局長として大会をまとめた方で、当初、たいへん不安な様子でしたが、研究活動をとおして、自分の実践を問い直し、深めていきました。発表でもそうしたものを他県の方も感じ取ってくれたのでしょう。また「子ども主義」ということばは、2007年発刊の都図研本『子ども主義宣言』にも通じていますね。都図研大会を通して図工専科は、大きく成長すると言えますね。(注、「子ども中心主義」ではない)
鈴石先生のコメントについては、
「鈴石先生は、感性とは感覚と感情である。もっと身体感覚を大切にしたいという提言でした。」
子どもの「感覚・感情・身体」は、鈴石先生が、いつも述べていることです。
昨日の藤沢先生の時代の変遷にならっていうと、戦後の初発に「創造美育運動」という運動があり、さらに「新しい絵の会」、また、高度成長期には「造形教育センター」というデザイン教育の核となる運動があったわけですが、鈴石先生は、映画『絵を描く子どもたちの』の主人公である野々目圭三先生の影響を受けた先生で、戦後の図工教育の原理をいまだに持ち続けている稀有な先生でもあります。(創美の会員ではありません)
デザイン教育系が、今日の図工教育を占有してきたのではないかという直感は、昨日感じたことではありますが、それらは、「功利」を原理として動くことにたけており、現場の教育実践や子どもそのものは、ないがしろにされる状態をつくった元凶であるとも思えます。それは、現在の政治の世界と同じく、言わば「費用対効果的」な発想に支配された、にっちもさっちもいかない状態をつくりだしたのではないでしょうか。
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さて、今回の千葉大会は、全造と関ブロを兼ねていましたが、来年度は、全造福島大会、関ブロ静岡大会となります。どちらも8月に開催です。都図研としてはツアーで参加になります。来年の夏は忙しそうです。
本間先生、取材ありがとうございました。また、都図研の先生方、お疲れ様でした。詳しい報告は、全造HPをご覧ください。
「療養日記35」・・・2009/11/27(金)
○「全造・関ブロ千葉大会速報、第1日目」
26日(木)、27日(金)と二日間千葉大会がある。第1日目は、都県代表者会議、全小図連、全大会、全国代議員会など、全国造形教育連盟と関ブロの重要な会議があるので参加した。二日目はさすがに体調を考えて休ませていただく。関係者のみなさんすみません。
行きは、怪我を考えてくれた本間理事長の運転で、千葉まで、7時半に池袋を出たが、首都高が込んでいいて、10時の会議にギリで間に合った。セーフ!
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「関ブロ都県代表者会議」。
関東、静地区の各地区の代表者が集まって会議をする。関ブロ事務局は、都図研と都中美が2年交代で運営している。今年度から2年間都中美で運営する。広域の研究組織としては、一番しっかりした組織であるが、近年の傾向としては、各地区の人員の弱体化を示し始めている。連携の存続を真剣に模索する時期がきているようだ。来年度は、「静岡」で行う。
また、全造、各大学研究会から「中学校の美術科教員の配置に関する要望書」が、各地区教育委員会に配布するように手配されていた。
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都図研の役員の皆さん。都図研の役員は、都図研の運営だけでなく、関ブロや全造の運営の中核をなしてきた。今回は、関ブロと全造が合併の大会で、全造の事務局は時任先生がおこなっている。
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「都県代表者会議」が終わると全造連の「各校種別の会議」がある。こちらは「全国小学校図画工作教育連盟」の年1回の定例の会議である。事務局は、浜方先生。運営、進行は彼がひとりで、取り仕切っている。
この日のメインは、横内先生コーディネイトの「パネルディスカッション」。パネラーは、穴澤氏(美育文化)、河野路先生。南先生。テーマは「図工をひらくもの〜アート・プロジェクトって何〜」。
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もともとこのテーマはぼくが『美育文化』誌の特集をもとに企画したもの。しかし、怪我のため、横内先生が急きょ、再構成して、コーディネイトしてくれた。忙しい中ほんとうにありがとうございました。
現在、さまざまな地域で、アートのプロジェクトが開催されている。昨今の図工教育の弱体化に反比例して、こうした傾向は、盛り上がっている。
穴澤氏の指摘では、これまで芸術教育は、個の教育、自己表現が重視されてきたが、このところ、他者理解という理念のなかで、コミュニケーションを重視する方向性を見せ始めているが、これは何を意味するのか。また、それらが「至上主義」になった時、危険な様相を見せ始めるのではないか。という指摘から始まり、河野先生の連携授業の実践紹介や南先生の図工の活動の核を見据えながら、他の領域と連携を広げながら活動することで、図工を開くという視点を語りはじめたところで、時間切れとなってしまった。
難しいテーマであったが、横内先生の采配で、最近の図工の傾向の一端を垣間見ることができなのではないだろうか。パネラーの皆さんには、時間が少なく、もどかしい思いをさせてしまったかもしれないが・・・・ひとりあと1時間はしゃべりたかったのではないかと思います・・・・お忙しい中、資料なども準備していただき、ほんとうにありがとうございました。
もう少し突っ込んだ討議の機会を設けることが必要ですね。
また、今回は、40名以上の参加者があり、全小図連立ち上げ(鈴石先生)のときには、3〜4名の参加者も、年々、少しずつではあるが、増えつつある。本当は図工の活性化のためには、「全小図連大会」というものが必要なのかもしれません。
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「全体会」。せっせと記録写真を撮る時任事務局長。全造は慢性的人手不足なので、何役もこなす。「全造HP」に記録はアップされると思います。
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「全体会」の舞台。向こう側は歴代千葉県造形研究会の来賓。手前は、主催者の席。すごい数です。
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全体会の永関全造委員長と牧井関ブロ理事長のあいさつ。
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全体会での「千葉大会の研究報告」。千葉は、比較的に研究組織がしっかりしている模様。こうした大きな大会を開催する地力がある。午前の段階で800人を超える参加者数があった。明日は研究授業・分科会があるので、もっと増えるであろう。東京からは、大道先生も参観されていました。
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休憩時間。来年度の「全造・福島大会」の天形先生(福島大学)と時任先生雑談。鈴石先生はエネルギッシュに、作品取材、「おっ、この作品は、いいんじゃない」。そこには、厳しい作品観がある。
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「指導講評」文部科学省、村上尚徳先生。続いて「大会記念講演」、藤沢英昭先生(千葉大学教授)講演。テーマ「造形教育のこれまでとこれから」。退官を記念しての講演会であった。戦中、戦後、現在の動向を通じて、造形教育が行ってきたことを、スライドを通じて、ザックバランな語り口で話された。氏は、平成元年の西野範夫先生と組んで「新しい教育観」を持ち込んだひとりである。その人柄から、氏を慕う、多くの教え子が会場にいた。戦後中ごろから、現在まで、ぼくらからみると、「造形教育」は、「デザイン派」に主導、占有されてきたのがよくわかりますね。
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最後に「全造連・代議員会」。各地区からの代議員会が集まり、協議を行う。全造連は、組織が大きすぎ、いまだ安定しない組織でもある。というか、「造形美術教育」の致命的な組織力のなさがそこにある。「科学」とはおおちがいです。
「代議委員会」は、昨年も「ブロック制」を提案したが、なかなか浸透しない実情がある。
各県の役員が年毎入れ替わってしまう。また、各県の組織も弱体化しつつ傾向にあることや全国組織がもう一つあることにも起因する。
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「反省会」。焼き鳥屋で一杯。鈴石先生をはじめとして都図研役員の皆さん、ほんと、お疲れ様でした。ぼくも、こんなに長い時間、「起きた姿勢」を取ったのは、久しぶりでさすがにきつくなってきました。
本間理事長は、この後、ぼくをクルマで送っていくため「飲めない状態」。ずみません!!鈴石先生、矢木先生、時任先生は、一泊するそうである。
明日は公開授業・分科会があり、東京からは、西多摩大会の千田万里子先生が発表、助言者鈴石弘之先生、司会高橋香苗先生。ぼくは、さすがに怪我の「安全策」をとって休ませていただきます。皆様よろしくお願いします。
この後、本間先生、福岡先生とコルトレーンを聞きながら帰宅した。


「療養日記34」・・・2009/11/26(木)

○昨日は、久しぶりに午後から、学校に行った。(青柳小学校の皆さん、やさしく迎えてくれた。いい職員で幸せです。)でも、家を出る時かなり緊張した。疲れを考えてTAXで行った。子どもも、入学式や休み明けは、こんな感じなのだろう。
しかし、ずーっと寝てばかりいたので、「頭」が飛んでいて、スケジュールや授業の感じが、なかなかもどらない。(もともと飛び気味ではありますが・・・)久しぶりに、図工室に行った。講師のK先生が、がんばって作品を指導してくれたので、なかなかいい感じの作品が並んでいた。さすがです。病院や自宅に何回も来てくれて、教材研究したのがよかったです。1月には、「展覧会」があるので、復帰してからが、大忙しになりそうです。(まだぜんぜん準備していないのです!)
夕方、4階の図工室からの夕焼けが美しかった(写真)。帰りは、やはり、だんだん背中が痛くなってきた。「ウルトラマンのタイマー」が背中の中にあるみたいです。
「療養日記32」・・・2009/11/25(水)
○前に子どもが借りてきた『百万円と苦虫女』という映画を見損なっていたので、みたら面白かった。蒼井優が主演で、若い女性を主人公とした物語であった。
ふとしたことから前科者になって、家にいられなくなり、百万円貯めては、次の場所に引っ越していく話。そんななかで「自分探しの旅ではありません。もうすでにここに自分はいます」ということばが印象的で、どちらかというと「居場所探しの旅」という感じ。
監督は、タナダユキという女性監督。調べると『タカダワタル的』の監督ではないか!蒼井優は、なかなかいい感じの女優である。蒼井優のことを「モリガール」というらしい!?知らなかった・・・。どういう意味?「森から出てきた感じ」が、その意味らしい。ほんと?
○都図研城北大会まで、あと8日と迫ってきた。ぼくは2ヶ月間、けがのため運営に参加できませんでしたが、どうやら城北大会実行委員会、都図研役員、都図研研究局の皆さんの尽力で大会にこぎつけそうです。あと一週間いろいろ細かい詰めに入ると思いますが、協力して運営・実施できればと思います。
ぜひ、他地区の皆さん、他県の皆さんにも参加いただければと思います。全国の図工教育のなかでも、最も注目される研究大会のひとつです。特に若い先生方は、参加し、指導力向上のための研究をしてください。
また、大会後は、資料などを、所属校の管理職の先生方や同僚の先生方にも配布して、お知らせする工夫をしていただければと思います。
さらに、今週の木曜日、金曜日は、全造・関ブロ千葉大会があります。一日目は、がんばって参加します。二日目は「背中」次第で、様子をみたいと考えています。
○今日は、事故の事後処理で、保険関係の書類などの記入や事故現場までTAXで行って確かめて見取り図をかいたり、病院に行って、診断書の請求をしたりしましたが、結構煩雑でたいへんです。
今回、ぼくは、うかつにも、「自転車保険」に入っていなかったので、失敗しましたが、最近の世間の自転車事故の多さをみると、ロードバイクに乗らない、ママチャリの方でも、「保険」と「ヘルメット」はお勧めしたいです。道路に立って、自転車の走行の様子をみていると、かなりめちゃくちゃなので驚きます。これでは、誰でも、いつ被害者や加害者になるかわかりません。
○それから、H先生、K先生、S先生からもメールや連絡が入り、なんだかせわしくなってきました。このまま突入しそうです。「師走」に復帰は、のろのろの今のぼくには、めまぐるしすぎるかもしれませんが・・・。
「療養日記32」・・・2009/11/24(火)
○昨日は、リハビリを兼ねて「江古田」まで散歩を試みた。江古田は、いくつかの大学がある学生街。なんとなく華やかな感じがする。環七を2.5キロぐらい歩くと付く。天気がよく裏道を行くと気分がよい。少し歩いたところで、後のことを考えて、途中でバスに乗った。バス停3つ分。遅いランチを食べて、久しぶりに雑貨(骨董)屋さんへ。ネパールの仏像らしきものを買った(写真。高さ30センチ)。プリミティブなフォルムで気に入った。顔は猿みたいである。どちらかというとアフリカの彫刻の感じがする。なかなかかっこいい!木はなんという木を使っているのだろう。
しかし、案の定、だんだん背中が痛くなってきたので、バスでまた帰ってきた。先が思いやられます。
「療養日記31」・・・2009/11/23(月)
○あと一週間で「療養」が終わる。この2カ月のうちの半分の1カ月以上は、寝転んでいたかもしれない。入院中から徐々に、からだを起して過ごす時間が増えていっているというところである。思えば、事故当初は、頭、首、背中など1センチもからだを動かせなかったのだから、めざましい回復である。しかし、この療養時間を生来の怠け者のせいか、ほとんど読書もせず、絵も描かなかった。(一枚だけスケッチした。写真)。もちろん仕事もしなかったのだが、関係の皆様にはホントにご迷惑をおかけしました。また、お見舞いなどの励ましもいただき本当にありがとうございました。来週からは現場復帰します。
○ところで、TVは寝転んでいるだけで勝手にやっているのでよくみた。毎日、奇々怪々な事件や政治の世界の変動など、不安感を掻き立てる報道がなされていた。
昨日は、ビートたけしや太田光の番組で「日本人の忘れもの」という特番をやっていた。キーワードは、「おふくろの味」「父親の威厳」「想うということ」「近所づきあい」「ニッポン人にとっての富士山」「ふるさと」「勤勉」など・・・・。
不安定な社会だと、こうした大正・昭和期にあったとされる利害関係をはく奪されたノスタルジーに満ちた記号に、ぼくのようなおじさんたちは、ぐぐっと感情がゆさぶられるのだが、進行をみていると、それがシリアスにならず、太田光やたけしのチャチャやギャグによって、亀裂が入り、そのフィクション性がみえるところが、ぼくには面白かった。
「療養日記30」・・・2009/11/22(日)
○古くからの友人のヅカちゃんからメールが送られてきた。ポタリング先の「つばさ公園」の写真付きであった。サドルにヘルメットが乗っている。彼はバンダナ派であったが、ぼくの事故でヘルメットを強くすすめた。後楽園(馬券)~つばさ公園~門前仲町と回ったのこと。昨日はサイクリング日和のいい天気でした。約70キロのサイクリングとのこと。けっこうがんばりますね彼は。夕方、いつもいく「カムイ」という近所の喫茶店で待ち合わせた。門前仲町の漬物をおみやげにもらった。ずいぶんしばらくぶりで話がはずんだ。おじさんたちの話は、経済と政治の話。彼は、自営業なので、不況の感じがリアルに伝わってくる。違う業界の人とたまに話すのはいいですね。
○「教員養成6年の波紋」という記事が、21日(土)の「朝日新聞夕刊」に掲載されていた。「教員免許更新制」は廃止の予想が出ている。このところ不安定な制度改革が続いている。教員の指導力向上の問題が浮上しているのであるが、現場の実践から遊離した研修は、それほど役に立たないいんではないの?などと思っていたら、次のような文に出会った。
東大の秋田喜代美先生の「教師教育から教師の学習過程研究への展開」の冒頭の言葉である。
学校評価、教職員評価などの成果主義の導入、教員免許更新制の導入や実務家養成をめざす教職員大学院の設置などの教育デザインが提案され、教師個人の成果主義と競争原理による教員評価の傾向が強められている。また教職員の賃金低下、いじめや学力問題等様々な教育問題において教師がつねにスケープゴードとなって語られることにより、教師の地位低下が生じている。英米型の自由市場型成果主義による教育改革を取り入れた教育政策は、生徒の能力と共に、教師の個人の能力をも標準化した規準で捉えようとしている。校内における授業や教材研究という、学校における自律的な専門職開発の制度によって、教員の資質を継続的に高め保持してきた日本の教師の学習システムはさらに衰退していくだろう。断片化して一貫性のないトップダウンのパッチワーク型現職教員研修カリキュラムによって、日本の教師文化がこれまで形成してきた学校における教師の学習システムを保持発展させる方向とは異なる方向へと向かおうとしている。
(『変貌する教育学』P45。世織書房、2009年)
日本の教師は、学校に内在する教師文化の中で、世界のなかでもハイレベルの指導力を保ち続けてきたのだが、そうした土壌が衰退しつつあると警鐘を鳴らしているのである。これは都図研の抱えている問題でもある。図工教師の共同性が、図工教師の指導力を向上させるのである。
「療養日記29」・・・2009/11/21(土)
○今日は、いい天気ですね。いろいろな学校で「展覧会」をやっている模様です。図工の先生たちもくたくたというところでしょうか。展覧会は、子どもや教師、学校、地域がつながる大切な機会です。「都図研ニュース」に出ていた山田先生のエッセイでも「展覧会」について書かれていました。図工専科にとっては「腕」の見せどころですね。
○昨日は、リハビリで散歩し、「上板橋」のほうに行きました。すると、久しぶりに歩いたので、いろいろなところに「介護」の施設や事務所がたくさんできていて、びっくりしました。我が家も母親とぼくが骨折で、「介護」問題が浮上し、大騒ぎです。昔、有吉佐和子(1931~84)の小説に『恍惚(こうこつ)の人』(1972年作)というのがあって、ぼくは読んだわけではないのですが、当時の「流行語」になっていました。今から思うと時代を先取りした視点をもっていたのでしょう。
調べると、この小説の当時の反響としては、次のことが書いてありました。
ベストセラーとして世に迎えられたが、文壇からは「あんなもの小説じゃない」との声や、丹羽文雄の『嫌がらせの年齢』には及ばないなどの批評があがったほか、文学賞選考からも外されるなどの冷遇を受け、有吉はショックを受けた。さらに印税1億円を老人ホームに寄付しようとしたところ多額の贈与税を課されることが分かり、有吉は新聞広告を打ってその不合理を訴えた。
刊行後34年を経た現在(2006年)と比べると、仕事を抱えながら自分が茂造の面倒をほぼ一手に見ることについて、嫁の昭子が不満を抱くだけで結局はそのまま破綻をきたさないところに時代状況の違いが見られる。また認知症になった茂造が不可解な「他者」として描かれ、その内面心理の動きに全く関心が払われないところは、現在の認知症介護の観点からすると問題を含むであろう。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8D%E6%83%9A%E3%81%AE%E4%BA%BA)
いまや「介護問題」は、避けて通れない問題で「超高齢社会」(注65歳の人口が総人口の20~25%以上になった社会。日本は2007年から。)と化した日本の状況を示しているのを身近に実感するのであった。
「療養日記28」・・・2009/11/20(金)
○水島先生に『ぼくの好きなキヨシロー』(WAVE出版)とMDをもらってしまった。著者は、泉谷しげると金奈崎芳太郎。ぼくは、キヨシローファンなのだが、その一枚うわてが、水島先生だ。いつも会うたびに新しいキヨシローの本を仕込んで持っている。水島先生に初めてお会いしたのは20年以上前かな?まだ山形大学にいらした。都図研は、大学の先生たちからは、どちらかと言うと敬遠されていたようであるが、水島先生は、現場の実践者としての都図研を、昔から、共感をもって支持してくれた数少ない先生であった。すごく切れ者の水島先生が、トズケンなんぞをほめてくれるのは、きっとキヨシローを好きだという感性とどこか通じているのかもしれないとぼくは思っている。今後もおおいにお世話になると思いますので、よろしくご指導ください。
ぼくがキヨシローを知ったのは高校1年生のとき。その頃はフォーク全盛で、RCは、他のバンドとは、ちと異色な音楽だった。その頃、この本の著者である、泉谷しげるや「古井戸」(チャボとのデュオ)の金奈崎もフォーク歌手として売れていた。泉谷の「帰り道」
http://www.youtube.com/watch?v=efHZPIH7SNg
なんてのは、今の時代を思わせるような歌で、おもわず高校生のぼくは、うなったものだ。
ところで、キヨシローの歌だが、1976年の井上陽水の前座のRCの「9月になったのに」
http://www.youtube.com/watch?v=Qxa7ZU9qnW4&feature=related
は、すごい。キヨシローの自己紹介に観客の反応はない。なんせお客のお目当ては陽水だから。
MDも水島先生にもらったのだが、エラーが出て聞けないのが残念。
「療養日記27」・・・2009/11/19(木)
○リハビリで近所に散歩しに行くと思っていたら、Tさんがお見舞いにきてくれた。ありがとうございます。そのあと近所を散歩していたら、「武井武雄」さんの家が空き地になっていて、何もなくなっていた。武井武雄(1894~1983)さんは、ウィキペディアによれば「童話の添え物として軽視されていた子供向けの絵を「童画」と命名し、芸術の域にまで高めた。武井武雄の童画は、大胆な構図や幾何学的な描線によって、モダンかつナンセンスな味わいを感じさせ、残された作品はいまもって古び
ていない。「コドモノクニ」をはじめとした児童雑誌の挿絵、額縁画、版画、図案(デザイン)、おもちゃの研究・創作、絵本自体を芸術作品と捉えた「刊本」、童画批評など多岐多彩な分野で作品を残した。」と紹介されている。
絵本画家の創始者ともいうべき人である。また、神田の古本屋にいくと自分で製本した「豆本」なども並んでいたりする。岡谷市出身で、岡谷市にある「イルフ童画館」http://www.ilf.jp/index.htmにいくと、武井さんの作品を収蔵している。
○来週はいよいよ全造・関ブロ千葉大会がある。時任先生、浜方先生は、全造連と全小図連の事務局なのでいろいろおお忙しであろう。よろしくお願いします。
「療養日記26」・・・2009/11/18(水)
○ミュンヘンの加藤貴子先生から絵葉書をいただいた。調べると、写真の城は「ノイシュヴァンシュタイン城」という城らしい。バイエルン州フュッセンの南方、オーストリア国境近くにバイエルン王ルートヴィヒ2世により建設された城で、ロマンチック街道の終点の人気観光スポットだそうだ。加藤先生もミュンヘンで元気に仕事に励んでいるようである。3年は短いので、いろいろ体験して、ふたまわりぐらい大きくなって帰ってくるでしょう。そう言えば、アフリカに行った増田先生は元気かな?

「療養日記25」・・・2009/11/17(火)
○「祝!70,000人突破」
思えば、都図研のHPを立ち上げてから、3年間(30カ月)のアクセス回数である。この回数は、同一のアドレスから30分以上たたないとアクセスカウントされない設定になっているので、実数として、月平均、約2,300強のアクセス、日割りにすると約80のアクセスがあることになる。この数が多いか?少ないか?というと、判断がつきかねるが・・・・都図研は、1,300人会員がいるので、各自1回アクセスすると、回数は1,300になるが・・・・そこまではHPそのものが、浸透していなという現状もあるだろう。
けれども、これだけの回数が、毎日アクセスするのは、たいしたものであるという評価もある。また、会員だけでなく、外部の方も見ていただいているようなので、広報的な役割は大きいと思われる。ぼくの直感では、少しずつカウント数が増えてきているようなので、地道に読者を増やしているようである。
だいたい普通に考えると、よそ様のHPを継続的にみることはないし、何回かアクセスするとそれ以後はみなくなるのが普通なので、数が減らないこと自体、常に新しい情報を現在進行形で提供している「とずけんどっとこむ」の努力と言えるのではないだろうか。(菅原先生の努力たるやすさまじいものがある)。
「療養日記24」・・・2009/11/16(月)
○自由民主党の谷垣総裁が、自転車事故で顔にけがをしたそうである。多摩川遊歩道を対抗の自転車と接触しての事故らしい。多摩川サイクリングロードは、道幅が狭いので、散歩している人や対抗のすれ違いには十分注意しないといけない状態である。なお、福岡副会長は、通勤で毎日多摩川サイクリングロードを使用しているとのこと。これからは北風の季節で、なかなか前に進まないらしい。
ぼくも自転車事故で現在療養中であるが、このところ自転車事故が増加している模様。道交法上、自転車は、車両なので、車道を通らなければならないが、日本の道路は、自転車道が設置されておらず、また、違法駐車が多い。また、「ママチャリ」という、ほとんど車両であることを無視しながら乗られている自転車もある。日本では、法整備もインフラも保険も、自転車に関しては、いいかげんに扱われてきたのではないだろうか。
自転車は、エコ、健康、観光、スポーツ、ものづくりと、現代的な問題にかかわる視点を含むが、ヨーロッパのような「自転車文化」が日本にはないと言ったところが現状である。
○「全小図連パネルディスカッション」
全国造形教育連盟・関ブロ千葉大会の全国小学校図画工作教育連盟の部会で、横内克之先生コーディネートのパネルディスカッションが下記の要領で開かれる。ぜひご参加ください。
◆期 日 |
2009年11月26日(木)
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|---|---|
◆会 場 |
千葉県教育会館 本館303室
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◆時 程 |
11:00〜11:15・・・全小図連理事・評議員会(15分)
11:15〜12:30・・・全小図連パネルディスカッション(1時間15分)
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◆パネリスト |
穴澤秀隆(『美育文化』編集長)
南 育子(都図研副会長,墨田区立堤小学校)
河野 路(荒川区立尾久宮前小学校)
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コーディネーター |
横内克之(都図研参与,新宿区立花園小学校)
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テーマ |
「図工をひらくもの 〜アート・プロジェクトって何?〜」
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「療養日記23」・・・2009/11/15(日)


○『美術手帖BT12月号』に金子大介先生の「あんぐるぼっくす」という実践が掲載されている。金子先生は、このところ元気に活躍している若手の図工教師。都図研の研究局に所属し、子どものもつ子ども性を最大限に引き出そうと試みている。最近は、都図研も若い世代が圧倒的に増えてきているので、先陣をきって、ガンガンがんばってほしいですね。BTの特集は「コムデギャルソン」。ファション界は過激です。
○「アントニオ・ロペス・ガルシア」(1936~)という画家の画集をアマゾンで買った。スペインには「マドリード・リアリズム」とうのがあるらしくその流れをくむ作家であるらしい。スペインというと、ピカソやダリやミロ、タピエス・・・ベラスケス、ゴヤなどさまざまな巨匠を思い出すが、こうしたスペインの画家たちをみていると、一方で抽象的、一方で写実的なアプローチがあるのだなあと思ったりする。ロペスの画集をみるとなるほど描写的であるのだが、視点を変えたり、デュシャンの「便器」を思い起こさせたり、対象の描出の取捨選択(抽象化)がすぐれていたりと、単なる事物の説明的表現に終わらない、複雑な造形性を感じさせてくれるのであった。なかでも質感(時間)のようなものを感じさせてくれるのは強い特質で、これは、他のスペインの画家たちにも共通する特徴かもしれない。ロペスとは全く正反対の表現様式のアントニオ・タピエスは、「物質」感が前面に出ているが、同じようなものを感じるのであった。
長崎県立美術館に作品が収蔵されていて、表現主義の画家をモデルに描いた絵は、なんと26年間描き続けたという。たいへん遅筆な画家でもある。消費社会にすんでいると「はい!一丁上がり」なんていう感覚に支配されてしまうが、遅々として描く、その時間は、定量的に計測できない時間というものがあるということをぼくに教えてくれるのであった。ちなみに、映画(DVD)もあるらしいので、買っちゃおうかな。ただ娯楽を期待する向きにはまったく退屈な映画らしい。
「療養日記21」・・・2009/11/13(金)
○「費用対効果」
昨日のネット中継をみていると頻繁に使用されているコトバに「費用対効果」というのがあった。つまり、かけたお金に対してどれだけ効果があるかを問い、その事業の予算を縮減したり取りやめたりするという考えである。経済用語で、よく「コストパーフォーマンス」といコトバも耳にする。牛丼を食べるのに、1万円かけるよりも100円のほうが、絶対お得ということになる。
けれども、ARTや教育かかわる人たちはあんまりこうした考え方はとってはいないのではないだろうか。どちらかというと「面白いからやる」「愉しい」というような価値観によって動いていると思われるのだ。
教育の「費用対効果」に関して哲学者の内田樹さんが、研究室のブログで「費用対効果教育」と題して面白いことを述べていた。文部科学省から大学の授業時間数を増やして、学力を高めろという話の文脈のなかでの話である。
◆http://blog.tatsuru.com/2008/11/16_0928.phpより抜粋
だが、このような外形的な数量的な規制に何の意味があるのか、私には理解できない。
大学生の「学力低下」というのは印象的にはたしかにそのとおりである。
けれども、これは、彼らの知的関心が手持ちの大学の教育プログラムや教育言語ではうまく掬い取れない活動に向けられているせいである。
「世代の知性の総量というのは変わらない。それが向かう先が変わるだけである」(@村上春樹)という考えに私も同意する。
「授業時数を増やせば学力が上がる」と文科省のお役人たちは考えているらしい。だから、初等中等教育でも「週6日制に戻す」というような動きになっている。
けれども、いまからはっきり予告しておくけれど、授業時数を増やしても学力は上がらない。
彼らの学力が低下しているのは、彼らが「どれほど費用対効果のよい仕方で学校教育という“苦役”の対価として教育商品を手に入れるか」という「賢い消費者」になるためにそのある限りの知力を投入しているからである。
このような心的傾向の人々に向かって「苦役」の絶対量を増やして負荷をかけるということは、さらに集中的に「費用対効果のよい仕方」の探求に知的リソースが投下されるだけの結果しか生み出さない。
「費用対効果」だけが問題なのだといイデオロギーのせいで、子どもたちの学力が回復不能的に低下しているときに、さらに「費用対効果」への気遣いを強化するような施策を行って文科省は何をする気なのであろう。
いささか先走ったが、子どもたちの学力が低下した理由は「この世でたいせつなものは『学力そのもの』ではなく、『学力をもつことでもたらされる利益』である」という考え方が支配的になったからである。
学力なんかあってもなくてもどうでもよろしい。
学力があることによって得られるとされている利益(競争における相対優位、威信、権力、財貨、情報、などなど)が得られるなら「何をしてもよい」というのが私たちの時代の風儀である。
子どもたちは「いかに少ない努力で多くの報酬を手に入れるか」ということにその知力の限りを尽くしている。
これはまさしく過去30年間本邦の教育行政がたかだかと掲げてきた教育理念である。
そんなことはしていないと額に青筋を立てる文科省官僚もおられるやもしれぬ。
そうですかね。
では、「シラバスの表記が不備なので、助成金を削る」というのはどういうことなのか。
それは要するに「なあに、大学を動かすのなんか簡単だよ。『助成金を削るぞ』と脅せば、たちまち顔色を変えるんだから」と彼らが思っているからである。
「欲得づくでしか人間は動かない」と彼ら自身が信じているから「そういうこと」ができるのである。
そして、その信憑は経験的には正しいのである。
「助成金のひもを握っているものが教育をコントロールできる」という文科省の考え方は「あらゆる問題は金で解決できる」という私たちの時代に取り憑いている「金の全能性」イデオロギーが行政の中枢までをも犯していることをはしなくも露呈している。
「あらゆる問題は金で解決できる」という前件から導かれる実践的結論は「だから、もっと金を」である。
そして、ひさしく文科省までもが無意識的に宣布してきたせいで「あらゆる問題は金で解決できる。だから、もっと金を(できるだけ少ない努力で)」イデオロギーは日本の子どもたちの中に深く内面化してしまったのである。
その結果、さまざまな徴候的な出来事が起きた。
何回か取り上げた「単位未履修問題」がそうである。
「できるだけ覚えることの少ない教科で受験することは費用対効果がよい」という命題に高校生も教師も保護者もメディアも全員が同意した。
教育を語るときにはまず「費用対効果」というビジネスのワーディングが用いられる「べき」だということが国民的合意に達したことのこれは破滅的な徴候だったと私は思っている。
だから、「できるだけ少ない知識、少ない学習時間によって、高い得点を得るものこそが競争勝者である」というルールを内面化した子どもたちの学力が地滑り的に崩壊するのは理の当然である。
子どもたちはいかに少ない知識、少ない学習時間、少ない知的負荷で、成績を上げ、競争に勝ち、社会的価値の高い学歴を手に入れるか、その「費用対効果」だけを今競っている。
先般ノーベル賞受賞者たちが口を揃えて「もう日本の教育はダメだ」といったのは、授業時間が少ないとかいうレベルのことではない。
官民一体となって「子どもたちが学習内容そのものにではなく、学習した場合に得られる報酬の獲得に熱中している」という教育システムに対して、「それではバカしか生まれない」とおっしゃっていたのだと私は理解している。
現に、超難関校といわれる大学を出た若者と話していて、あまりにものを知らないので、びっくりすることがよくある。
教養がないというレベルにとどまらず、専門課程で学んだはずの知識さえおぼつかない。
どうして、そんなにものを知らないのかと訊ねると、破顔一笑して、「いやあ、大学では全然勉強しなかったですから」と誇らしげな様子をする。
どうして、勉強しなかったことをこれほど自慢するかというと、それでも超一流校の学位記を獲得した自分のふるまいが「クレバー」だと思っているからである。
だって、わずかな苦役で大きな報酬を手に入れたわけだからである。
「ぜんぜん勉強しないで東大出ちゃいました」というのは、キーボードをちゃかちゃか叩いただけで1分間で数億円稼いだとか、1000円でベンツを買ったとか、それに類する「スーパー・クレバーな商品取引」なのである。
消費者マインドに立てばそういうことになる。
「学校なんかぜんぜん行ってねっすよ」「教科書なんか開いたことない」「試験なんか、ぜんぶ一夜漬けで、あとカンニング」というような言葉が「ほとんど誇らしげ」に口にされるのは学校教育で競われているのが「何を学んだか」ではなく「いかに効率よく競争に勝つか」だと彼ら自身が信じているからである。
日本の高校生の50%以上が自宅学習時間ゼロである。
ほかに用事があるから自宅学習をしないのではないと私は思っている。
いかに少ない自宅学習時間で進級し、卒業し、あわよくば有名大学に入学し、学士号を手に入れるか、それが彼らの「知的価値」の賭け金である以上、「どうやってできるだけ勉強しないですませるか」ということが喫緊の課題となる。
日本の子どもたちは日々死力を尽くして「勉強しないで競争に勝つ」ための工夫を凝らしている。そこにある限りの知的リソースを投じている。
その前提には、「勉強をしないで競争に勝つ人間がいちばん賢い」という価値観が同学齢で共有されているということがある(もし、うっかり「勉強って楽しい」とにこにこ勉強する子どもがいたりすると、大変なことになる)。
そのための子どもたち内部での「勉強するなイデオロギー」の宣布運動の熾烈さはいかなる宗教の勧誘も及ばない。
子どもたちが級友たちの勉強を組織的に妨害し、そのことを自分の「得点」に数え、それが「賢いふるまい」として賞賛される・・・というループの中で、日本の子どもたちの学力は構造的に低下している。
さて、どこから手をつけていいのか、私にもわからない。
いま政界では解散時期と定額給付金の「費用対効果」について政治家たちが狂躁的な論議を繰り広げている。
どのような政策についても、どうすることがもっとも「費用対効果がよいか」(今の場合は「票になるか」)という計算に夢中になっている政治家たちの脳裏に「費用対効果だけで教育を考えてはいけない」という発想が去来する可能性はゼロである。
そのような政治家や官僚たちが立案するものである限り、その教育施策が日本の子どもたちに「勉強することそのもの」の楽しさに気づかせることになるということは原理的にありえないのである。
uchida : 2008年11月16日 09:28
「療養日記20」・・・2009/11/12(木)
○「行政刷新会議の事業仕分け」
行政刷新会議の事業仕分けがネットで中継されている。ので、少しだけみてみた。こんなことはいままでなかったので、公開という意味ではすごいことであろう。
第3グループの文部科学省関係のものは、以下のスケジュールでおこなわれていた。短い時間のなか、「はじめに予算の削減ありき」といった感じのやりとりなかで、討議はおこなわれていた。会議での仕分けの評価の規準は、「効果」「数値」「それをその団体が行う根拠」「天下り」などといったものが、全面にとりざたされる。だが、「芸術を子どもたちにみせたその効果示せ」とか、「コミュニケーション教育の演劇的手法を活用した授業は学芸会と同じではないか」とか・・・まあ、かなり強引な意見がだされるのであるが、こうしたやりとりは、内容や質的な側面がすっとばされている。このあたりは、これまでの行政改革の論調とベクトルはあまりかわっていないようだ。芸術や教育や(保育・福祉)の実施は、他の事業と異なって、単に量的な基準では測れない存在理由があるのではないだろうか。
この感じだと、かなりの予算縮減と事業取りやめが多くなりそうだ。
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/live.html
◆内容
第3WG
【第1日】
3-1 |
9:30~10:25
施設関係独立行政法人(国立青少年教育振興機構、教員研修センター、国立女性教育会館) 文部科学省 |
|---|---|
3-2 |
10:30~11:25
子どもの読書活動の推進事業と子どもゆめ基金 文部科学省 |
3-3 |
11:30~12:25
スポーツ予算 文部科学省 |
昼休み(約1時間) |
|
3-4 |
13:30~14:25
文化関係①―(独)日本芸術文化振興会 文部科学省 |
3-5 |
14:30~15:25
文化関係②―芸術家の国際交流等(芸術家の国際交流、伝統文化こども教室事業、学校への芸術家派遣、コミュニケーション教育拠点形成事業) 文部科学省 |
時間調整(20分) |
|
3-6 |
15:45~16:40
放課後子どもプラン推進等(放課後子どもプラン推進のための調査研究等、放課後子ども教室推進事業、地域共同による家庭教育支援活性化促進事業、家庭教育支援基盤形成事業) 文部科学省 |
3-7 |
16:45~17:40
その他のモデル事業①及び委託調査(英語教育改革総合プラン、学校ICT活用推進事業) 文部科学省 |
3-8 |
17:45~18:40
その他のモデル事業②(農山漁村におけるふるさと生活体験推進校、子どもの健康を守る地域専門家総合連携事業) 文部科学省 |
「療養日記19」・・・2009/11/11(水)
○昨日は背中がじんわりとしていた。案の定、天気予報をみると雨。晴天から一転して、寒くなるようです。自宅療養も約20日近くとなった。が、なかなか以前の生活行動レベルに復活できないのでもどかしい。フツーに身体が動くというのはすごいことだと思うのであった。また、病院のように食事のカロリー計算をしているわけではないので、太ってきてしまった。「食べる」というのは、基本的な「欲求」であり、制御、コントロールすることのもっともむずかいしい活動のひとつですね。
12月からは復帰の予定であるが、そういえば、コルセットをつけているので、ズボンがはけないなあ。
○都図研城北大会の山崎大会事務局長より電話あり、都図研城北大会運営委員会が成増小学校で行われた模様。大会まであと23日と迫ってきた。また、全造連・関ブロ千葉大会の小学校部会である「全国小学校図画工作連盟」の浜方事務局長よりメールで連絡もきた。こちらは、あと2週間ぐらい。それぞれ準備に忙しい。関係の皆様よろしくお願いします。
○今日、11月11日は「介護の日」(厚生労働省)ということである。新聞などをみると一斉に介護の広告や特集が組まれている。
我が家の母親も介護を要する老人である。「デイサービス」と「リハビリ」に通うが、本人いわく、デイサービスは、親切ですぐに世話をしてくれるし、風呂や食事、娯楽などもあるのですきなのだが、リハビリは、体の訓練を自分でおこなわないといけないのできらいなのだそうだ。
介護というのは、べったり、身内がかかわるとかなりのストレスになりそうである。親族よりも他人のほうが、円滑かもしれない。身内だといろんな感情や価値がそこに生じてしまうからだ。
教育活動も、第三者がおこなったほうがよいとされる。親が直接、教育するというのはなかなか難しい。これも、期待や願望がそこに介在してしまうからだ。独立した人格として、第三者が冷静に向き合うことで活動がおこなわれる。
介護も教育も、うまく歩けないからといって、すぐかついで運んでしまうようなことではないと、感じるのであった。
「療養日記18」・・・2009/11/10(火)
○映画『未来を写した子どもたち』
インド、コルカタ(カルカッタ)のソナガチという世界最大級の売春街で暮らす子どもたちと女性写真家のかかわりをドキュメントした映画。そこでの生活は、凄惨を極めている。が・・・何か光を放っている。それは、そこに「子ども」がいるからである。子どもはどんな場所でもいきいきと生き、そして、どんな親でも愛している。
本編以外の付録インタビューで、青年になった主人公のひとりの子どもが言う。「子どもに必要なものは、なんというか・・・物質ではない、「世界」である」。世界を見開かせる希望こそが大切であると言う。この映画では、「写真教室」が媒介となっている。図工にも響くことばである。ぼくは、教育者のための「研修映画」ではないかと思った。
公式サイトhttp://www.mirai-kodomo.net/
「療養日記17」・・・2009/11/09(月)
○『藝術の慰め』福永武彦著、講談社、昭和40年(1965)。
本書は、ぼくが若かったころ、いつだったかなあ・・・高校生か、浪人時代か?忘れてしまったが、手に取った一冊。70年代中ごろであったと思う。30年くらい本棚の隅に眠っていたが、最近、無性に思い出され探したらちゃんとあった。「芸術の慰め」というのは、なんとなくひ弱なめめしい題であるが・・・というのも現在では、ARTは思想であり、理論(学問)であり、行動というようなものになっているから。でも、どこか、ぼくの心に隅っこに住み着いているものなのであった。ほこりをはらってページをめくると次のような一文があった。今、世の中が「現実的な効用」を問う中で一笑に付されてしまうかもしれないが、ぼくにはピンと来るものがあるようです。あなたにとってARTにふれる価値とは、どんなものですか?
「私は数年にわたってサナトリウムで寝ていたことがある。またその後もしばしば床を温めた。その時、一冊の画集、或いは一冊の詩集、或いはラジオのレシーヴァーから洩れて来る音楽の流れは、私に生きることの価値を教えてくれた。芸術は確かに慰めである。それも人を生へと導く力強い伴侶である。単に苦しい時、悲しい時の慰めというだけではない。私たちは芸術作品の中に、直接私たちを揺り動かす魂の羽ばたきを感じる。それは生きることの愉しさを私たちにしらせて、魂の領域をひろげ、やわらげ、高めるものである。病気というのは一つの危機であるが、危機が過ぎてしまえば、私たちの生はそれなりに充実して、もはや芸術とは縁がないと言えるだろうか。私はこれで充足しているから慰めなんかは要らない、と言えるだろうか。私はそうは思はない。慰めとは一種の表現である。憩いと言ってもいいし、やすらぎと言ってもいい。魂の夢想と言ってもいいだろう。あまり多忙な日常を送る人は、その魂が乾からびて、遂には夢みる力さえ失ってしまうかもしれない。芸術はその時、せかせかした彼の足を立ちどまらせ、激しく鼓動する心臓の働きを休め、緊張した筋肉をくつろがせて、彼の魂にひそかな呟きを聞かせるだろう。それは既に死んだ芸術家たちが、遠い時代、遠い国から、今も生きて呼びかけて来る魂の声である。それを聞くことによって、あなたは一瞬、時間のない世界の中へと連れ込まれる。その時あなたは、好むと好まざるとに拘わらず、芸術によって慰められているのである。」(同書P9~10)
◆福永武彦(1918~1979)。小説家、詩人。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%B0%B8%E6%AD%A6%E5%BD%A6より抜粋)
福岡県生まれ。東京帝国大学文学部仏文科卒業。1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、3ヶ月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、翌年再び帯広に渡り、帯広中学校の英語教師として赴任する。その年に処女作「塔」を発表。しかし冬に肋膜炎を再発し、1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院する。加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティク」を結成し、日本語での押韻定型詩の可能性を追求。戦後には、戦場での体験や左翼運動を経験した第一次戦後派作家とは距離をおいた文学活動をはじめた。学習院大学で長く教鞭をとり、ヨーロッパの最先端の文学動向をよく論じた。死の二年前1977年、キリスト教朝顔教会井出定治牧師により、病床洗礼を受けクリスチャンになる。死ぬまでの二年間は教会に通い、聖書を忠実に読んだ。1979年、脳内出血で死去する。同人仲間の原條あき子との間に小説家の池澤夏樹があり、声優の池澤春菜は孫娘。
「療養日記16」・・・2009/11/08(日)
○「介護問題〜人口の推移」
我が家は、ぼくと母親と寝たきりが二人いる。母親は85歳で、介護の様子をみているとたいへんだとわかる。食事や糞尿の世話、また、日々の生活の仕方など介護の問題は、これからますます大きくなってくることが実感される。また、教育や経済、社会システムそのものも、人口の推移によって変化してくる。「人口ピラミッドの推移」のグラフをみると今後の社会の状態がよくみえてくるようです。「図工教育」もどのようになっていくのでしょうか?ぼくの仮説としては、平成30年前後の次期改定がやはり山場のような気がします。(国立社会保障・人口問題研究所http://www.ipss.go.jp/index.html)
1950年1950年 団塊の世代が生まれたころの人口ピラミッド。安定したピラミッド型で、出生した子どもが120万人と多く、これからの社会の発展の様子がうかがえる。ぼくは1954年生まれなので、団塊の世代以後の世代である。
2010年
2010年 現在の人口ピラミッド。団塊の世代が退職期に移行している。40歳前後の数は多いんですね。団塊の世代の子どもたちでしょうか?ぼくはあと5年で退職となります。出生率が少なくなって逆ピラミッド(つぼ型)になっていきます。
2020年
2020年 10年後のピラミッド。団塊の世代が75歳の年齢に移行しつつある。介護を必要とする人口が増加していくのでしょう。ぼくは66歳。年金問題が気になります。都図研の中堅(現在の30〜40代)の先生方が中心となって活躍する時期です。「図工教育」は、踏みとどまれるでしょうか?その意味で、平成30年前後の次期「学習指導要領」の改定はかなり重要になりますね。
2030年
2030年 20年後のピラミッド。団塊の世代は80歳代になります。1950年には120万人も出生していた子どもは40万人を切ります。ぼくは76歳まだ生きているでしょうか?団塊の世代の子どもたちがそろそろ退職期を迎えます。都図研の現在20代の力を蓄えつつある先生方が、学校
の中心となって活躍している時期です。でもまだ「図工」はあるでしょうか?
2040年
2040年 30年後の人口ピラミッド。ぼくは86歳です。神さまのみ知るです。
2050年
2050年 40年後の人口ピラミッド。「つぼ型」へ。完全に老人大国へと日本は移行していくようです。ぼくは96歳です。想像がつきません。

「総人口の推移」http://www.ipss.go.jp/pp-newest/j/newest02/3/z_1.html
現在1億2千万人の人口は、40年後には約1億人前後へと推移しするようである。
「療養日記15」・・・2009/11/07(土)
○昨日は、病院に検診に行った。8時30分から10時30分まで、2時間かかった。いつもホント病院は混んでいます。レントゲンを撮り、診察室で診断。
「コルセットは、3カ月間してください。そうしないとまたつぶれてしまい、あとがたいへんです。12月は勤務してかまいませんが、重いものとしゃがむのは、絶対いけません!」。
しかし・・・・図工教師というのは、しゃがむことと荷物を運ぶのがほとんどの仕事!歩いて、しゃべるだけでは、仕事にならないです〜。3カ月というと今年いっぱいではないか。この亀の甲羅(コルセット)からなかなか卒業できない。
そのあと散歩のリハビリ。1時間ぐらい亀のような足取りで歩くと、背中がじわっといたくなってきて、まだ、長時間は無理のようです。おっさんの骨は、再生に時間がかかるようです。
○子どもがDVDプレーヤーを買ってきたので、TVの画面で、映画がみられるようになった。何か借りてきてということで、『スラムドッグ$ミリオネラ』という映画をみたのであった。
インドのスラムに育った青年の兄弟と女の子の物語。先入観なしにみはじめたのだが・・・・インドのスラムは、ものすごい。圧倒的な貧富の格差がそこにあり、見る者に迫ってくる。ドキュメンタリーの要素とエンターテイメントの要素が織りなされた見事な映画であった。
2008年のイギリス映画で、インド人外交官のヴィカス・スワラップの小説『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社)をダニー・ボイルが映画化したものだそうだ。
人は、本人の意思ではなく、ある時代のどこかの社会的環境のなかに産み落とされるが、その社会環境のなかで、必死に生きようとする。やがて、時がながれ、大人になっていくが、社会に同化したり、自分を調節して変化させたりしながら、生きていく。その出来事の総体が「人生」である。この映画は、映画であるがゆえ、ハッピィエンドで終わるが、事実としては過酷な実に多くの人生を暗示している。貧富の差や階級格差、経済力の格差、またそれにともなう、暴力・・・・。「子ども」の姿とは、その社会や環境の象徴であるかのようだ。
次の一文が思い出された。
「いまや私がいとおしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。」(1857年、12月7日の日記。ヒュースケン著『日本日記』P221、岩波文庫、1989。渡辺京二著『逝きし世の面影』P14、平凡社、2005。)
近代化以前の日本では、子どもは、大切にされていた。すでにその文明はないが。
「療養日記14」・・・2009/11/06(金)
○我が家の路地をでたところの家では、すでにライトアップがはじまった。これをみると年末やクリスマスが近付いていると感じる。都図研の活動もいよいよ「まとめ」の段階に入っていく。昨年から、研究紀要をその年度の「東京都図画工作研究会活動報告書」として編集し、都図研の活動を俯瞰できるように編集しはじめた。玉置副会長から「プロット案」がメールされてきて骨組みを決めた。これから、関係の先生方に原稿の依頼がゆく。年度内に発刊できるようにご協力をお願いします。
○ホームページの「カウントダウン」によると都図研城北大会まで、あと28日と迫ってきたようだ。これから細かい運営のつめがはじまる。高橋副会長からも「弁当の配布」についてメールが入っていた。受付や授業の準備、会場の設置、会場学校との連絡の詰め、来賓関係、大会紀要、袋詰め・・・・など、さまざまなことをつめて当日を迎える。城北地区の先生方、協力して楽しい大会にいたしましょう。よろしくお願いします。
○今日は病院でレントゲンの検査がある。夜、夢をみていて、お店に入った押し込み強盗を思いっきり殴ったら、寝ながら腕をほんとうに振り上げてしまい、激痛で目をさましてしまった。(笑い)
「療養日記13」・・・2009/11/05(木)
○昨日は、文京区の教育会の図工部の研究授業があった。大道先生がメールで情報をくれた。ぼくは、家にこもったきりなので、世の動きから置き去りにされつつあるので、こういう情報があると皆さんがんばってきるのだな~などと思ったりする。授業者は、森田先生。講師は、近代美術館の一條彰子さん。いつものように反省会は盛り上がったようだ。(写真)一條さんは、いまや日本の鑑賞教育をけん引するお一人である。セゾン美術館所属のころから、つまり、今日の鑑賞が盛んになるまでの当初からこうした活動をされてきた方である。トズケンという得体のしれない(笑い)研究会に臆することなく、協力していただいている貴重なかたである。
○穴澤編集長から、「美育文化誌」への寄稿の御礼と励ましの電話をいただいた。そんななかで、国会中継はおもしろいという話がでた。特に、K氏の質問は、「論争になりえる語りかけ」があった。というのが共通した感想。だいたいは、自分の立場を優勢に保つためのレトリック(主にすり替えて話すというのがテクニックみたいですね)に終始しているのが現状。美術教育もそうだが、真の「論争」たりえるのは、なかなか難しい。文化の厚みがないとそうならないですね。
「療養日記12」・・・2009/11/04(水)
○朝、新聞をみていたら、脳科学者の茂木健一郎氏が、画家の中山忠彦氏との対談のなかで次のようなことを述べていて興味深かった。
「脳の仕組みから言うと、いくつか分かっていることがありまして。美しいと感じるときに活動する脳の領域は、生き物としてすごく大事な、食べる、飲むというような生存に必要なものを得たときに、喜んで活動する領域と全く同じなんですね。ですから、芸術を食べては生きていけないといいますが、脳の働きからすると、芸術、絵の美しさというのは、食べ物などと同じ意味を持つんですよ。」
「もうひとつですね、いわゆる「うつ状態」と言うんでしょうか。何となく気分が優れないとか、そういうときは脳の活動が低下しているんですけれど、美しいものを見ると活動が上がるんです。精神科のお医者さんにお伺いしたりすると、美しいものに対する反応というものは、最後まで残るっていうんですね。美しいものを見て、美しいと思うことは心の健康のためにいいものなんですよ。」(「脳が本気になる、知られざるニッポンの美」、日展広告、2009,11,3.朝日新聞。)
一般的な考えでは芸術は、「絵に描いた餅」などと揶揄されるが、脳科学的にいうと、脳にとっては、食べ物も芸術も同じレベルのものらしい。また、精神の健康にもよいと述べられている。図工や美術は周辺教科などと、教育の世界では、存在価値をいやしめられているが、主要教科が、目先の受験勉強に役に立つのだとして、重視されているのだとすると、教育の根本的な態度に疑義が生じる。
芸術教科が、人間の生存に関与するものであると考えられるとき、教育のなかでの位置づけも大きく改編されるであろう。
「療養日記11」・・・2009/11/03(火)
○昨日は寒かったですね。こんな日は、なんだかあんばいが悪く、午前中・午後と、ほとんど寝てしまいました。寝すぎて、何もしないと、自分でも、なんだかバツが悪い気分になってしまいます。
「天気予報」をみると日本海側は、雪が降る模様です。天気が悪かったり、冷え込んだりする日は、体が教えてくれているのかもしれません。なんだか「天気予報士」が背中にいるみたいです。
以前の学校の同僚先生方からお見舞いが届きました。ありがとうございます。いろいろな方にご心配とご迷惑をおかけしています。復帰まで約一ヶ月弱、体調をもどしたいですね。
だんだん冷え込む日が増えてくる日が多くなってきますが、皆さんも風邪などめさぬようにしてください。
「療養日記10」・・・2009/11/02(月)
○「タカダワタル的」
子どもからDVDをもらった。「高田渡」である。2004年の映画で、高田渡は、2005年に56歳で亡くなっている。1949年生まれなので、ぼくとは、5歳ちがいである。ぼくが高校生のときにはすでにデビューしていた。はじめて買ったアルバムが彼のファーストアルバム『ごあいさつ』であった。しかし、昔から高田渡は「おじいさん」であった気がしているのだが・・・・映画のなかの高田渡も立派なおじいさんであった。けれども、映画のなかの高田渡は53歳前後のはずだから、今のぼくよりも若く、お酒づけの日々が彼の風貌をそうさせたということもあるのだが、そうなること自体が彼の仕事であったようにも思える。彼のブルースは、うまいとかへたとかを超脱していて、存在そのものがブルースなのであった。いっかいのギター弾きそのものとなった高田渡は、いっかいのギター弾きとしてその生涯をまっとうしている。すごいなあ。
「療養日記9」・・・2009/11/01(日)
○「美育文化11月号」あんど「全小図連」
美育文化協会から「美育文化11月号」をいただいた。特集は、「アート・プロジェクトって何?」。最近、さまざまなところでアートの催し物が開催されている。そんな状況を特集したものである。地域社会の活性化、コミュニケーション、共同性、アピールなど、活動のさまざまな効用が謳われるが、しかしながら、これは、穴澤編集の、実利や結果に傾斜しているプロジェクト至上主義といったものに対する危惧の念をいだいての特集である。例えば「遊び」も本来無目的であるからこそ「遊び」なのだが、実利や有用性に傾斜すると本質からずれてしまうであろう。図工教育の目的や本質を考えるには、よい特集である。ぜひご一読を。
ぼくは、この夏に行った「都図研の妻有プロジェクト」のツアーのルポを紀行文風に書いて寄せた。忘れてしまうのですぐ書いて、ずいぶん早くに入稿をすませておいたのがよかった。けがをしたので、予定の入稿ではきっと書けなかっただろう。本文のページ構成は、穴澤編集長におまかせした。ありがとうございます。
また、全国造形教育連盟千葉大会の「全国小学校図画工作連盟」の会合では、「プロジェクト」をテーマに、横内先生をコーディネーターに、穴澤編集長、河野路先生らのシンポが開催される。こちらも本来、ぼくが呼びかけ人であったが、けがのため、横内先生が、コーディネーターを買って出てくれた。本当にありがとうございます。











